消えゆく言葉

  • 2017.11.14 Tuesday
  • 19:20

2014.11.29 014.JPG

 

願望も年とともに・病の進行とともに縮小してくる。それはしかたのないことで、雑多な欲望をかなえるためにエネルギーを使うことは十分したし、サバサバして好ましい状態だともいえる。仕事も身の丈に合ったもの=手抜きになり、それも仕方なくも、またよし。そんなこんなでこの山で暮らして死ぬということ。

自分の傾向として、ただ自分の経験のなかで言葉になったものは書いてきたし、極私的文章をブログであらわすことで共有してもらえたらうれしかった。ただ常日頃から言葉というものに全面的に帰依できない自分をかんじることがあり、在りかたの変化とともにブログのほうもそろそろおわりにしようとおもう。

 

言葉を使うこと書くことが、疲れるようになった。

病の進行する体、パワー不足と同時に、そのこと自体から離れようという傾向。

言葉はマインドそのものかもしれない。

それでも言葉しかない。

論理を操るのではなく、ただ

声 音 

であるのかもしれない。

 

言葉のない世界…『ボブという名の猫』

  • 2017.10.24 Tuesday
  • 21:56

 

You Tube に、猫がいた。その猫、なにか引き付けられる表情。なんというか、その形象の奥へとひきつけられた。

内なる真実は顕れるのか?とおもい、『ボブという名の猫』と二作目『ボブがくれた贈り物』を読んだ。その猫はひとりの青年を救った。

 

猫の飼い主ジェイムス・ボウエン氏が、二冊、ライターとともに書いたそうだが、その内容から、彼が天からボブ猫を送られ、猫に愛されるのは十分納得させられるものだった。バランスのよい文章で、読んでいて気持ちがよかった。彼の職場だけにロンドンのストリートが興味深く書かれていたが、厳寒のストリートで生きなければならない厳しさが、かれのやさしさをそこなわない。まいにちが困難であり、決して絶望しない。毎朝バスに乗ってその日のめし代をかせぎにゆく。ストリートミュージシャンで投げ銭をもらったり、Big Issue で雑誌を売ったりもする。生きるために労働、交渉、闘い… いろいろな事件や不都合が出来する。そんな中で、自ら養い、自ら救い、政府や救済団体の恵みも受けている。生きようとすることにぶれることはない。ヘロインのきっかけはロンドンストリートの厳寒と孤独だったというが、猫に出会い、猫の面倒をみる覚悟をきめ、めのまえでヘロイン中毒で男が死んだことをきっかけに、ヘロイン中毒を克服した。

事情あって両親との縁が薄いが、厳寒のストリートに毎朝通う丈夫な身体をもらったし、猫を愛し愛されるこころをもらっている。

ソウルメイトの猫と人間。写真をみると、互いのこころとシンクロしている。ボブ猫は相棒のこころが伝わっているかのようだ。

それはふしぎでもなんでもないことかもしれない。

 

 

つづいて、シートンの動物記を読んだ。

人間と野生動物が出会うということは、狩る狩られるという大前提があり、相手をいかに殺すか?逃げ切るのかなのだとシートンは言う。そういう時代はながくつづいた。シートン自身野生動物を狩るという道で、そのあいての美しさ野生のけなげさたくましさに出会い賛嘆している。手放しで感動するシートンの子供のこころ。有名なロボは、ロボの「仲間を思うきもち」でついに捉えられ、シートンが知恵で勝ったのだが、野性の気高さ美しさにはうちのめされる。

 

ことばではない存在のなにかは、ボブ猫もロボもジェイムスもシートンも人も基本中の基本としてもっているものだ。

 

 

ボブくんとボウエンさん  https://matome.naver.jp/odai/2139052501559398501?&page=1

 

病気という幸いもある

  • 2017.10.07 Saturday
  • 21:47

11月.JPG

 

自分の心身は、一応まちがえずにに動くことを信じている。そうやって働ける。もし悪くなればさまざまに治療して、よくなってリセットしはじめて働けてこれこそが自分なのだという設定があった。就職では健康ですか?と聞かれる。だから健康であることは生きることの必須条件なのだ。

私のかつての喘息の発作はひどく行動を制限されるが、いづれすっきり直るものでもあって、リセットされる。むしろすっきり感さえある。

失うものはたぶん発作の時間だけであり、ほかは無かったし、むしろよく働けた。

そういう私は病気のなにもわかっていなかったといまおもう。

いまははっきり進行してだるさや疲れ易さやもろもろがじょじょにましてきて、これは行動はもちろん人生も制限してくる。病気が主役になり、働くことや、楽しみごとなどはどんどん制限されてくる。これは自分が望んだものでないし、人生でもないとおもう。

しかし、望んでいないのなら異物なのか?来てしまった忌むべきものなのか?

私は、これまで読んだりした不治の闘病のひとのこころを、やっとおもいやることができるようになったとおもう。なおらない。この現実がいづれ自分の命をうばう。自分の人生も制限する。そうおもったじきもあった。

しかし、ちがう。

病気というと悪い意味、それからは脱出すべきものとしてあるが、そうではないと私はおもう。健康でなければ生きられないか?そうか?それもひとつの真理ではある。

 

病気こそ自分。

病気というと忌むべき言葉になっているから、そんなことを言うことは憚られる風潮はあり、それはそれでいいと思う。違う世界のようにも思う。

自分というものは病気なのだ。私のばあい遺伝病なのでとくにそれはおもう。

そういうことを、伴侶がことあるごとに私がおちこむごとに、いいんだそれでいいんだといいきかせてくれた。できないならそれでいい、できることをしていきてゆけばいい、と。

私はそれを何度も言わせた。病人がわからずやだったからだ。

いまは、やっとわかった。じぶんは病気であり、それを生きていると。

じつに生きるに値する。

 

 

RANPO's和漢診療科

  • 2017.09.17 Sunday
  • 17:43

2015.10.22 015.JPG

 

そのように、大学病院で、とりつくしまもなく誘導されたところへ、いままでどおりの処方を出すということなので、そのクリニックにとりあえずは行ってみた。

立派な建物で1階は広々とぜいたくなつくりのバースクリニック。案内された二階はうってかわって冷房もなく扇風機がぶんぶん回っていた。電気もついていない狭い廊下の椅子で待っている7人ぐらいのひとたちは、私とおなじようにこの主治医にパワフルに畳み込まれ、ここに来たのだろう。釈然としないふんいきで暗くボー然とすわっていた。

診察が終わってひとり暗い廊下を幽霊のように歩いていったひともいてぎょっとした。呼ばれて襖を開けた。宿直部屋のような狭い和室の畳にかろうじて診察セットがおかれDr.がいたが、必要最小限のことを小さな虫のようにささやくだけ。あのパワフルに説得した大学病院のDrか。まるで江戸川乱歩の世界。面白いが、なにやらあやしげ。そのことがわかったので、ここは終了することに決めた。次回ほかの病院の漢方医に紹介状を書いてもらう。

 

このDr.は、大学病院でその診察の始め、「道が混んでたいへんだったでしょう?混むんですよね!」と患者に思いやることばをかけた。

私は会ったとたん、心身がはたと沈黙した(閉じた)かんじがした。初見で、言葉にならないものを感じ取る断固とした速さ。一瞬。

 

 

 

 

漢方の主治医が替わる

  • 2017.08.30 Wednesday
  • 17:36

2017.8.5 004.JPG

 

大学病院の漢方は二ヶ月に1回。主治医は慎重かつ正確に処方して、透析が2年延びている。「漢方では患者さんが身体の状態を話してくれないと困る」とおっしゃり、患者の話しをよく聞いた。それによって毎回処方を微調整し、おかげさまで、おもった以上に働けている。

 

その主治医が替わり、新たな主治医は、いきなり処方の全取替え、自分のクリニックへの予約、大学病院は終了となった。初対面の診察で。

いつもともに聴いてくれている夫とともども、なにもいえぬままあれよあれよとそのようになってしまった。

 

どんなことでも、たとえいま納得できなくとも、いちおうそのようにきたのだから、それを受けてみようではないかと夫はいい、私も同意した。禍福転ずることもある。

 

しかし、その新主治医処方の煎じ薬というものを、飲んで、一日で、強い副作用がでてしまった。

翌日、病院に電話して、その旨はなし、以前の処方をもらいに再度行った。

その対応というのが、さすが大学病院、患者はexample「症例」なんだなと痛感した。

 

やれやれで手にした以前の処方の薬を持って帰る道で、以前の主治医とばったり会った。

いっぱい訴えたいことはあったが、夫ともども「ありがとうございました!」とこころから言う。

歩みを止め、しっかり元患者の目を見て、挨拶をかえしすれちがった。

夏の太陽が降り注いでいた。

すべてそうであればとりあえずそれを生きよ。

一瞬の祝福のようであり、私はわすれない。

 

 

 

願望という我侭な代物

  • 2017.08.05 Saturday
  • 22:41

4.22cp 028.jpg

 

病院にて。

診察を待っているあいだ前回と変わった症状を書いてくださいと紙と鉛筆をわたされるようになった。順番でよばれて、Dr.は書かれた紙をみて血液検査の数値をみて、講評し、薬の処方、次回予約で終了。効率よくなったが、AI化してきたなあと。

 

 

相手のことが思うようではない、気に入らないということで、はげしいケースで障害事件がおきるが、なぜ気に入らないんだろう?と、あらためて考えてみた。それは、こうあってほしいという願望をうらぎられるからではないか?願望って勝手だよね。私のばあい主治医は少なくとも人間として対応してほしいという願望がある。けっして機械的に処理してほしいとはおもわない。聞いてくれるだけでもいい。しかし医師には医師の事情というものはある。それをかってに願望する自分が現実離れしているのだとおもった。対医師だけではない。この世のファクトに対し、願望無しで素直に受けとめれば、いいんだ。

私たちは良い悪いと教育されてきたし、○×のふだをもって随所判定を下しながら旅をしているようなことをしている。

そうおもったら、なにかがふっとはがれて、かるくなったようではある。

 

本は理想を語るよね

  • 2017.07.02 Sunday
  • 17:33

11月 016.jpg

ちいさいころから本の世界が優勢だった。そのせいか、

「真善美」がどこかにあって、自分は逢っていないがいつかは…と、なにかとひっぱってきた。

 本は理想をかたりそして信じさすものだ。本気で信じていたもの。そういう人間にとっては、現実の一歩一歩が「そうでない」という音を出していたのもかかわらず、現実のほうがまちがっているなどとおもっていたふしがある。

 

いつまでもそんなことを思っていられないが、真善美の理想の世界はなくとも、むかし…よき時代というもの…が、人類の歴史に存在したことはなかったろうか、と、往生際わるく、モンゴロイドの口承『1万年の旅路』をわくわくしながら読んだものだ。口承は嘘とはおもえない。そのようなとびぬけた才能が出現するのが人類だから。しかし伝承口述するうちに変わってきてしまうのはしかたないことで、つごうよきほうに変わってしまうだろうし、わるいことは捨象されてゆくだろう。したがっていいことしか伝言継承されないということになってしまう。読んでいてその“よさ”が。まあそんなものだろうとはおもったけれど。

 

縄文時代。この時代には「よきもの」がしはいしたにちがいないとおもった。なぜならば6000年(〜10000年)持続したからだ。それだけでも圧倒する。それだけでも“よき時代”ではなかったか?ひとがよきものにふれて伝承されていた時代だったのではなかろうかと。この時代は自然が圧倒的で、自然として人間も共存できた。加曾利貝塚で犬の埋葬(骨)を見て以来、ながいあいだあこがれと興味をむけていた。しらべてゆく内に※、縄文時代は神話が圧倒的な世界であり、神話というものは簡単に言っちゃえばひとの都合だ。エゴが体裁よく形になったものだ。願ったりまとめたり排除したり支配したりするための文脈と儀式。定住にともなうさまざまな問題、個人としてだけではない死、成人や婚姻時の抜歯など、たいへんな世界だったのではないか。優劣上下が無かったわけではなく、持てる者はこの時代にも勝者であったという。

 

ようやく、縄文の熱は冷めはじめ、私の信じたい真善美などというものは、幻想にすぎないことがわかった。わかったことでポンコツの理想探索機はやっとポンコツ人間に落ち着けたような気もする。

 

パンドラの箱とは自分及びひとのありさまであり、人間の作り出した世界だ。

生物が発生したときからの弱肉強食の掟。力の強い者、持てる者、頭の良い者が優勢し支配し食し続け蹂躙しつづけている。そうでないものももっとそうでないものを食べ踏み潰さなければいきてゆけないようになっている。

 

エゴというのはひとの標準装備でありイジメは古くからの器官なのではないのか。パンドラの箱から最後にでてきた希望という名の羽虫も、いまや羽やぶれ青息吐息。この惑星では、生物が発生したと同時の弱肉強食の掟。霞を食っていきてゆかないかぎりこの掟は超えることはできないよ〜ん。これからはAIのせかいらしく、人間はどうなるのだろう?この惑星はどうなるのだろうね?

 

※参考:西田正規著『縄文の生態史観』『人類史のなかの定住革命』

 

知りたいという原動力

  • 2017.06.17 Saturday
  • 17:21

2017.5 003.jpg

 

ここにきておもうのは、「なにかをさがしていた」と、しきりにおもう。

それは、社会と自分にむきあって、「ほんとうとはなに?」というおもいでふみだし、人生の時を使い、「さがしていたなあ」という感慨にあたった。

行動は「知りたい」という原動力でうごき、疲れ知らずだった。弱い身体なりに知る事だってできる。

この世の、人間の、ありさまを知りたかった。

もちろん欲望にささげられたものもあるし、社会にあわせようと頑張った部分もある。

 

現状がーというか自分がーあまりに無残なゆえにか、真善美がどこかにあって私には無く見えていない、それをみたいきいてみたい知りたい、と、そのことに人生の時を費やした。そんな感慨。

 

林の中の…

  • 2017.04.30 Sunday
  • 17:43

5.17 007.jpg

 

来たかったところだなあ ここは。

一生、樹をながめていきてゆきたいとねがったものだ

 

もう終わりかとおもいましたが…

  • 2017.03.29 Wednesday
  • 16:40

2016.3.31 012.jpg
 

ながくお休みしました。

なかなか身体のほうがしんどくなって、かくことアップすることからとおざかってしまいました。

これまであれこれと書いてきましたが、ことばにして意識することで、そこを卒業することができたようです。

書く。自分の内面を書くということを中学生の私に教えてくれ、自分も書き、文学全集を買ってくれ、詩人の心を共有財産だと言ってくれた兄のなによりの贈り物だった。

無意識のものをいしきしてゆくことはとてもハードで痛みもともなう。そうであってもやはり意識してゆくことがそこを卒業することにつながるということを身をもって知った。

 

私の深層にまだ無意識に抑圧しているものがあるかもしれないが、うかびあがったものをひとつひとつ意識してゆくしかない。意識すれば、人間はどうしようもなくまちがえるものだということを知り、知ることでそこをおわらせることができる。

OSHOは、過去は幻想だと言う。

書いたものも、幻想にちがいなく。

 

 

 

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

言葉と出会う

My Kitchen

selected entries

categories

archives

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM