「脳の右側で描け」

  • 2009.08.25 Tuesday
  • 22:04
 ホアン・ミロ
 

 

 

今度も、あなたは信じているものを見て、見ているものは信じていないのです。
                       
―「脳の右側で描け」Betty Edwards

 




「脳の右側で描け」Betty Edwards

という名著がある。

 

昔読んで、勉強になった。よくぞ書いてくれたとおもった。

 

ベティ・エドワーズさんは、絵を描くということは、自己を解放することであり、創造という行為であるとはっきり言う。

 

 

杉の子さんがコメントに残してくださった、森を描いてみましょう。もう一つ、ここに素敵な木を一本。こんな風に、ここにはもう一つ素敵な枝を、付け足して。さあ、次は湖を。。。 このような方式にみられる概念化がいい例ですが、人は絵を描こうとして、対象を見る―すぐに概念化がはじまるものです。言葉で解析してしまう。

たとえば「木」を見ると、「木だね」という言葉がまずやってくるでしょう。
「木だったらこう描く」というパターンがやってくる。
そして「木にかんする過去のデータ」がまわりはじめ、過去にそうしたように線をひきはじめる。
そして描かれたものを(他者の目で)批評しながら制限、修正しながら、描く…
それらは左脳のしわざであり、そういった行為は、既成のパターンの繰り返しで、新しい何かに迫って行くことはなく、よってそれは人を解放しないし、創造的精神に出会える道でもない…と。

 

 

「脳の右側で描く」エクササイズをじっさいにやってみたが、とてもスリリングだった。

 

・ピカソの人物デッサンをさかさまにして模写する。…とくに人物だと、左脳は人として認識してしまう、さかさまにすると人でもなんでもないただの線だけで、その線を模写する

 

・対象だけ見て描く…描いている紙のほうは決してみないで手をうごかしてゆく、純粋描画法という、左脳の調整や訂正をまぬがれた線はとくに美しい

 

・家の天井の角を描く…角なんてなんのアピール度もないものをじっとみつめて描くと、この世界に描くにふさわしいものとか、とるにたらぬものなどない、ということがわかってくる

 

・影だけを真っ黒に塗りつぶして描く…中間のグラデーションのない白と黒のくっきりした世界を描いていると、グレーの無限諧調がいかに美しいかわかってくる

 


やっていてわくわくするものだった。

対象に、先入観のない無のこころでむかいあえば、なにをどのように描いてもいい、

それは、直感的な右脳を活性化するエクサだった。

そうして、描く者を解放し、未知に向って、創造への道にいざなう。

 

この本は、なにか「禅」につうじるものがあって、生き方そのものへも敷衍していった。

 


ま、じっさい解放・創造などの手段は絵だけではないし、絵を解放・創造の手段としているひとにはなかなか出会ったことはないですね。

 

 


 

祝福

  • 2009.08.23 Sunday
  • 22:20

モーリス・ド・ブラマンク


 

 

なにがきっかけだったっけ?あ、そうそう、「お絵描きの道」というカテゴリーに、杉の子さんからコメントをいただき、ちょうど絵の道具やらを処分していたときだったので、ソーカツ気分に襲われたのでした。もうすこしです。

 

 

いままでやってきたことをやめる―登山を中腹で引き返すようなものだ。あまりほめられたものではないらしい、たしかに。やるんなら最後までやれ。山頂立ってナンボだろう。とか。

いやいや、引き返して生還するってことはおおいにあるし、そんな中途半端なことをしたことに意味が有ったですよ。

 

意味とは、(繰り返しになりますが、)

ひとつには、ふつうの道では(私には)とてもむずかしい評価からの脱落ができたこと
また、私は見ていなかったということが身に即してわかったことだ。

これらの、なかなか出会いがたい学びをひとつならずふたつもすることができた。

 

 

 

私はこのことで、絵をものごころついてよりずっとやってきたことと、そして苦悩のあげく止めたことのいみがわかってきた。

「止めることに意味がある」とか、「苦悩することに意味がある」とか。

人生にはこんなこともある。

 

 

これらのあれこれは、これくらいの脳では、人生の全貌や意味などというものはわからないのだとおもう。

しかしいつかわかる時が来る。

 

だから、いま苦しみのなかにあるひとも、きっと、なにかの意味があることを信じていいのではないだろうか?

いま、見えないだけだ。

 

 

それら人生の蹉跌、苦悩は、

 

祝福なのよ。」

 

と、言った人がいた。

 

 

 

 


           

ただ観る 

  • 2009.08.15 Saturday
  • 21:39
 

コドクな女の子は、家の前のムクの大木をみあげ、口を開け呆然と腕を垂らしていた。

あおあおと天を覆う無数のみどりの葉一枚いちまいがゆれる。

なんと美しいことだろう!こころが叫ぶ。

 

ああ、せめて、私に、なにかできないだろうか?

この重たい腕を動かしたい。

なぜ人間は、見るだけでは済まないのだろう?

人生の時に、なにかしなければいけないもののように、自分に提案する。

 

自然とともに生きる体力も、自然を描写する文才もなかったかわりに、見様見真似で、絵を描いた。

 

 

描けば描くほど、追いつくはずもない。

いったいあんなみずみずしいいのちを描けるものだろうか?

 

追いつかなくてもいいのだけれど。描けないなら修行すればいいのだけれど。

キャンバスにえがかれたもののなんと醜悪なことだろう!これには我慢ならなかった。

 

描く―あなたを侮辱してしまう…

描くたびに、こころは折れた。

 

ひょっとして、絵を描くということは、自然を冒涜することなのじゃないか?!

こんな圧倒的な自然を、人間などが太刀打ちできないほど混沌と豊穣な自然を、ちっぽけな人間が、ちいさなわかりやすさに翻訳して、箱庭のようなものを作って、それがいったいどういういみがあるのだろう!

 

仲間に聞いたことがあった

…あんなみずみずしい、うつくしく存在する四次元のものを、単純化して二次元にする意味があるのだろうか?

 

……意味なんてないさ。ただ描く、それだけだよ。

 

……描けば描くほど、対象を侮辱していると思う。

 

……考えたら描けないよ。ふつうそんなこと考えるか?あなたはむしろ傲慢だよ。

 

そうかもしれない。そうだろう、たぶん。

人間の限界を了解したくないのだから。

限界のなかであそびたくないのだから。

 

 

こんな豊かに、あらゆる謎をつつんで、空間に、ゆれている木の秘密を、二次元に再現することなどやはり意味がない。かかれたものはただ、自我の破片だ。

 

「おお、うまく描けた!」と満足する、「うまいね。」といわれる、それがなんだ。

キャンバスに塗りたくった油絵の具、紙に吸わせた水彩絵の具…なんて醜悪な物体だろう。

 

夕焼けにもこころを蕩かした―空がこんなうつくしいのに、なぜ、美術館にゆくのだろうか?

 

(絵を描く人の多くは、そんなことは考えない。ただ色と素材で楽しく遊んでいる、幸福な種族のように思えた。私はたぶん絵画的人間ではなかった。)

 

 

あなたは、自然を目の前にして、自然を見てさえいなかった。

あなたは、自然をめのまえにして、ちっぽけな自分の幻想をみていただけだ。偉大な自然を参考にして箱庭を作っていただけだ。

 

あなたは、自然の美しさをゆがめて、人間サイズに縮小することしか知らなかった

 

見ること、すなわち描いてしまうという癖が、長い訓練の末付いてしまっていた。目を失くしていた。

 

先に「美」をみてしまった女の子は、いつか描くことに躓き、本来の目をうしなったことに気がついて、

―そして、もう描くことはできなかった。

 

描かずにいよう。

本当の「風景」をてにいれるんだ

本当の目をとりもどすんだ

もう、腕はここちよいおもさで垂れている。

そして、まっさらな白紙のようなこころで、

ただ観るのだ。



ただ観る 

  • 2009.08.12 Wednesday
  • 23:37

 

趣味で自由に描いてゆこう。

ずっとやってきたのは絵だったし、私には絵しかないのだ。

 

 

 

ある春の朝、犬とともに、谷津のなだらかな坂道を降りて行く

木々は斜面からたちあがり谷のほうに枝枝をのばしていた

 

あなたは、画家がよくやるように、両手の親指と人差し指で矩形の窓をつくり、そこからその枝ぶりをみていた。

あのメインの枝はいい。あの雑駁な枝はいらないし。あと不調和なあの枝は無くして…と 

 

 

なにをしているのだろう?わたしは―

 

 

あなたは突然、気がついた

 

わたしときたら、こんな美しい自然にたいして、こざかしい人間の作為をもちだしている―

 

あの力強くのびた枝を「無用だから」「無くする」なんて―

おかしくないか?

あのままで、美しいものを―

あのままで、調和しているものを―

 

 

とくに風景画は、情報が厖大なので、まず、描き易いモチーフをえらびます

また、アピールしやすい構図をえらびます…たとえば奥に向ってぬけてゆくような。

 

そしてなお、描く人のおもうように―ツマリ表現にふさわしいように、切ったり、つけたしたりしてよいのです。…

 

 

もし、絵を描くということが、そういうことなら、私は絵を描くことは止めようと、そのときはっきり思った。

 

たとえば、犬とおりた谷津のうすもやの大気のなか、にんげんなどにはとらえきれない描ききれない豊穣さでそこにある自然というもの

絵を描くために見て、結局私は、その「美」をゆがめて、見るようになっていた。

 

そういえば、そのころ、どんな風景をみても私の眼は「絵を描いてしまった」

 

「美」に向かい、「美」を見ていなかった。

 

そしてなにか根源的なものを、無くして―求めて絵をかいたにもかかわらず無くしてしまっていた…

 

わたしは、自然の豊穣さのなかで、目をみひらいていたいだけだ。

 

それを、無能というなら、それを阿呆というなら、私はそうなりたい…。

 

 

絵筆を棄てた朝だった。

 

 


私がほんとにほしいのは、このよの「美」であり、その「美」を純粋にただ観る目であることに気がついた。

 

そういうおもいが何層にもかさなって膠着している自我の襞の間から、奇跡のようにやってきた。

 


私はただ観たい。



 

ただ観る 

  • 2009.08.10 Monday
  • 23:24
 

凡凡にも、凡なりに刻々とわきあがってくるものがあったし、絵のイメージは描けば描くほど、とても描ききれないほど無数にわきあがってきたが、それらをみながんじがらめにして、骨を抜き息を止め歪曲し型に嵌め、死せる絵にしてしまった。

 

それはだれのせいでもなく自分のせいだ。

くそ真面目とは、この人のことだ。

そいつはほめられたかったし、師の期待に応えたかった。

そんな欲望に繰られて、

他者の目を据付け、自分を叱咤激励し、評価していたのは自分だった。

 

 

…そういう何層にも沈殿した「評価」というものから身を抜くには、長く持続するエネルギーが要ったが、なんとか片足くらいは脱することもでき、着いたところから山頂をのぞめば、そこには清清しい風が吹いているらしい。

ああ、あの風にふかれたい…

 

 

これからは、風に吹かれて、趣味で好きな絵を好きなときに好きなだけ描いて行こう!

 

ただ自由気ままに描けばいいのだ、気楽で楽しいはずだった…

 

 

しかし、そこにも最大の難関がまちうけていた。

 

それは「見る」ということにかかわってくる、なにか絵のトリックのようなものがあることに、気がつき始めた

 

そして自分が絵描き的人間ではないことを思い知ることになる。




 

 

ヴィンセント

  • 2009.08.06 Thursday
  • 22:37



私はゴッホの絵というものは、あまり見たいとはおもわない。

見ればみるほど、くるしくなる。

丹念にくりかえされる筆致は、なんとも神経症的であるし、色彩はどんな妥協も許さない厳密さでそこにかがやいているし、ものすごい質量のものがそこに燃えている。

 

たまたま、わかい男の上半身を画面一杯に描いた絵をみてしまったことがある。

きいろいシャツを着ているのだが、このよのものとは思えない黄色―純潔な黄金の発するような黄色で、私は目をそらさずにはいられなかった。

ただ絵の具をまぜればどんな色だってでるだろうというのはおおきなまちがいで、色はただその色だけで黄色なのではなく、他の色との関係で、黄色に発色する。しかしそんなこざかしい考えなどこの絵は吹き飛ばし、ひきずりこみ、その純潔さでうちのめす。みるものは膝のちからがぬけてへたりこみそうになった。

 

小林秀雄が、ゴッホの「カラスのいる麦畑」の絵の前でしゃがんでしまったというはなしからはじまる、ゴッホについての評論があったが、絵からなにかがおしよせて、つかまれ、ゆさぶられる。

 

私はゴッホに関心があり、「ゴッホの手紙」を愛読した。なぜ?の答えがそこにあるように思えたからだ。

 

ゴーギャンが、ゴッホにさそわれて画家の共同生活に入ったことは有名だが、ゴッホが自分の耳を切って送ったりして、ゴーギャンはあきれて去り、タヒチへいってしまった。

 

牧師時代(だったか)に、すきになった女性の家に行き、女性をあわせない家族にむかって、ろうそくの炎の上にてをかざしているあいだだけでもあわせてくれと懇願したという。

 

貧しく虐げられたひとびとへの共感と、救済の情熱、それらもことごとく挫折する。

だれにも相手にさえされぬ絵を描いて、精神病院に入り、

けっきょく、腹にむけて銃弾を放ち、何日か苦しんだあげく亡くなった。

 

そんなところは、マゾ的なところがあった。

 

しかし、けっして狂人とかたづけられない。

ゴッホの手紙には理知的な絵画理論が、まるで口角泡をとばすような勢いで書かれてある。それはアカデミズムに犯されていない―かといってアマチュアイズムでもない、絵画というものの本質に独力で到達しようとする情熱があふれ沸騰している。

そしてふとおもいだしたようにわれにかえって文末に、あて先人―おもに弟テオとその家族や数少ない友人と家族にたいするおもいやりふかい言葉も綴られている。

 

彼の描きまくる絵は画商をしていたテオがつぎつぎに買い取った、というより、ヴィンセントに生活費をわたす口実に絵をかかえこんでいった。それは一枚も売れなかった。

 

ゴーギャンも、けっして幸福な画家ではないが、そんな彼はいう。

自分より不幸な人間を思う必要があったなら、ゴッホをおもえばいい、と。

 

現実の生のあまりの悲惨さに対抗するには、肉体の苦痛をもってするということかもしれない。現実の苦を肉体の苦痛に置き変えなくては生きてなどいけなかったのだろう。

 

 

 

私は師にたずねたことがある。

「ゴッホは生前認められなかった。

そういうのを、どうおもわれますか?」と

師はすこし考えて、

「それは…気の毒だ、ということだ。」

そう答えた。

 

そうだろうか?

 

評価されずに描き、死んでしまうことは「気の毒なこと」なのだろうか?

 

たしかに気の毒な人生だったかもしれない。

しかし…

あんな絵をかくその中に、きっとすごい喜びがあったはずだ。

おだやかでささやかな日常の喜びと引き換えにしても惜しくないものがあったのだ。わきあがるものに、みをまかせて描くことが、歓喜でなくてなんであろう。

そして、すくなくとも、彼ひとりは知っているのだ、自分の人生をすべて投入しても惜しくない「本当のこと」を追求し、そしてそれがそこにあることを知っていたのだと思う。

 

…ゴッホは気の毒なんかじゃない。…

師の、評価しか標的にしていない答えを聞いて、帰り道、そろそろここを去ろうという考えがやってきたのはこのころかもしれない。






 

 


絵には自由がある

  • 2009.08.03 Monday
  • 22:45
 

 

 兄や姉が絵を描き、私は、おさないころから、絵というものにあこがれの気持ちを持っていた。

 

街道沿いに八百屋があって、いつも「え、らっしゃい!」とモヤシをつかんで油袋にいれていたオニイさんが、休日には大きなカルトン(木炭デッサン用の紙バサミ)をかかえて、胸を張ってあるいていた。そこに、「自由」という王国があると信じて疑わなかった。

 

社会のシステムにのらないで、絵を描くという姿は、「自由」の黄金の光がふりそそいでいるようにおもえた。

 

しかし、じっさいは、自由の王国ではなかった。あまりにも、そうではなかった。

 



そこは、

なにより「評価」をもとめ曲がって行き、「評価」でがんじがらめになって、そこそこの評価を得るかわりに「自由」を狭めているのが、私のみた絵の世界だった。
私にしても、師に「いいね」「いい絵だ」といわれたくて描いていましたから。

評価をすでに得た会員・先生ともなると、確立した自分のスタイルから出てはいけない―おなじような絵を描かなければならない、という世界だった。

 

 

たしかに、画というのものは、評価なしでは存立しない。

描出するという、その行為そのものが、見る人の目を気にしている。

人に見られるものとして、描くのだ。

「評価」が、ア・プリオリにある行為なのだ。

 

 


しかし、そうであっても、人の目はあえて気にせず、自分自身の魂がその絵を評価するだけ、という絵描きはいる。

 

そうであっても、なおかつ、たましいの描出という絵はあり、絵描きはいる。

 

たとえば、ゴッホや松田正平など、人生のすべてが絵だった人だ。そのような画家のキャンバスに、絵の具に魂はこめられないわけがない。

田中一村 高島野十郎 もそうだろう。

 

けっして心地よい絵ではない。きれいで飾りたい絵でもない。しかしひとつの絵の前に立つと、絵柄の裏からなにか果てしないものが奔流のようにおしよせて、うちのめされる。動けなくなる。それがなにか、ことばではいえないものだ。だから画家は描いたのだ。塗りこめたのだ。そこに生きたのだ。絵は人生そのものだった。

 

ゴッホも正平さんも、生きているうちは売れなかった。

ゴッホは弟に、正平さんはおくさんに、助けられて生きていた。

評価されるような生き方をしていなかった。

 

 

画を描くならば、それ以外無いのだろう。

 

で、だれもがそうできるのではない…。

 

 

―いや、本当は、だれもがそうできるのだ。

 

それは、そのひとの固有の「場」で、そのひとの目の前の「仕事」に、すべてをそそぐことだ。

ひとの、分断のないすべてというものは、信じられない力がある。

そこに魂がこもらぬわけがない。

 

だれにも「評価」されなくても、高い報酬をえられなくても、ひとにわかってもらえなくても、そう生きているひとは、たしかにいる。





 

 

 

絵を止める

  • 2009.07.30 Thursday
  • 21:11
 

 

 

ここに来て、絵を描くということが、どういうことか、すくなくとも師にとって、仲間にとって、どういうことか、おくればせながら、わかってきたのだった。

 

それはまず、会に認められること。入選し、賞をなんどかとると、会友になり会員になる。会員になると、先生とよばれ、毎年、同じような画をかいては出品しつづける。

 

私にとってはなんの意味も無いことだった。

 

公募はきっぱりやめた。

そして「自分の絵」を描くのだ!

 

…しかし、描けなかった。

<自分の絵>が、描けなかった。

 

筆を持てば、師の言葉が襲って来るという重篤な状態になっていた。師の言うとおりにがんばって描いてきた、その経験はおもいのほか重かった。おおきな傷がこころに刻まれていた。

 

 

 

 

絵を止めた。

 

なんでやめるの?もったいない!

そんなきめなくたって、自分の絵をかけばいい!

 

―といわれたが、私はなにも説明しなかった。

 


師にだけは、はっきり言う責任がある。

「絵をやめます」

「そうか、で、なにをするんだ?」

そうきかれて、とっさに「文で表現してみたい」と言った

「それなら、私の知ってる編集者に紹介してやる」

と、師は言った。

 


師の気持ちというものに、私は自分のことばかりで斟酌することはなかったことに気がついた。

しかし、私は、絵でもそうであったように、文でも、ただ阿呆のように書きたいだけなのだった。


はい、ありがとうございます

と言い、師のこころをおもうともうしわけなかったけれど、もうそちらに向うことは無かった。

 

 


そして10年余、師御夫妻もこの世を去った。

 

このところ、身辺整理をして、まだ恋々と持っていた絵の道具やらを処分していった。

そんなことで、心的外傷が消えて行っただろうか。

 

 

こうしてふりかえることができるようになったのは、私にとって、絵を描くということ、そして絵を止めるということの意味が、やっと、わかってきたせいもある。

 

しようとおもってもなかなかできない「評価」というものからの脱獄を、七転八倒しながらでも、いくらかでも身をぬくことができた。

お絵描きの道の、長き試練だった。

 

こういう具体的な事件がなければ、自我にはりついた「評価」をはがしてゆくことは、なかなか、困難な作業だと、思う。

 


このために私に「お絵描きの道」があったのならば、もう、描いてもよし、描かずともよしという境地に、すべりこみたいものだ。



 

絵を描く

  • 2009.07.28 Tuesday
  • 21:41
 

 

 

ただ、「見て、それを絵に描く」というシステムを、からだにインストールしたかったのだが、なかなかできなかった。
それをするには長い月日がかかった。

 

どうしてこんなにも描けないのだろう?

もう十数年もやってきたが、自信などまったくなかった。

 

ある師が私のデッサンをみて、

「絵描いてきた?ひとりでやってきた悪さがでている。これから頑張りましょう。」

と言った。

 

 

師はなによりも技術だという人だった。

 

石の上にも三年という。

師について、とにかく虚心に、三年ふんばってみよう

 

なんとか師に覚えてもらえるくらいの技術がみについたころ、公募展への出展をうながされた。

「しなきゃだめだね。**さんはやらなきゃだめになる。」

 

まわりの仲間たちがわけありげに大作を描いて、美術館に搬入している意味が私にはまったくわからなかった。

 

しかし、ダメになるといわれて、やらないわけにはいかない。

 

 

私には、ひそかな、リリックな思いだが、ある描きたいものがあった。

 

―宇宙空間のなかにはぐくまれる命…というものを描きたかった。

50号に、深い青緑の空間に若々しいみどり葉を繁らせた大木が浮かび、その木の根は大きな球体を抱いている―。(そういえば、宮崎駿のラピュタみたいだが、それよりずっと昔からあたためていたイメージだった)
できあがったものは、どちらかといえば、シュールな絵柄になってしまったが、それこそ自分の絵なのだという思いだった
 

私はこんな方向の絵を描いてゆきたかったのだが、それを見て、師は仰天した。

 

そして、「この緑色は病的だ。不健康なやつが不健康な絵をかいちゃいけないんだよ!!」

と言った。

 

「活発なやつは静かな絵をかく、絵っていうものは、そうやって反対になるものなんだ。絵というものはそういうものだ。」

 

私は師を、唯一の師とあおいで随ってきたし、これからも随ってゆきたいとおもっていた。
なにより、師に「いい絵だ」といわれるのをよろこびとしていた。


そんなちっちゃな「評価」がほしくて、師のいうとおりにすることが私のやりかただった。
そして、私の描く画というものは、どんどんまがっていった。


「不健康なやつ」が描くべき、「あこがれの健康にかがやくような絵」をかこうと、まじめに努力していった。

 


そして、絵は「評価」された。

 

県の**会新人賞をもらった。

公募展では、エライ先生の解説というのがあって、院長回診よろしくぞろぞろと一団が展示された絵を縫ってゆく。
自分の絵になると、「よろしくお願いいたします。」といって前にでる。

 

師には、そのセンセイらがいかにエライかということと、失礼の無いように、よく聞くようにといわれていたので、かしこまってお辞儀をした。

 

そのエライ先生ふたりは、酒臭かった。そういえば接待があると聞いていた。

そして、そのお二人の態度は、なにか小ばかにしていて、絵というものへの気持ちなどすこしもかんじられなかった。

 

…こんなのが、絵の「エライ先生」なのか?

 

 

仲間たちでの賞のやりとりもあって、かならずパーティがあった。

そこでは、有名な画描きの名前ばかりが飛び交って、そこでも、私は、コドクだった。

スピーチをしろといわれ、マイクを前になにかしゃべったが、だれも聞いてはいなかった。

 

昔から「絵を描く人」には無条件のあこがれをそそいできた私だが、それは思いもかけず、あまりにも、雑駁で荒涼とした人間たちの集まりだった。


絵描きは言葉で表現するのはニガテなんだ、とおもったが、それにしても…。

 

 


私の絵のほうは、師の指導よろしく、順序よく、上野の本展に入選した。

これは、わかいころからの、はっきりしていた「夢」であったので、とてもうれしかった。

 

あこがれの都美術館にかざられたのだ。夢のようだった!

 

夫とふたりででかけた私は、その自分の絵をみて、ガクゼンとした。

 

―これは、私ではない………

 

これは師の功績だ、師が一生懸命私に描かせた画だった。

 

血が流れ、大地に脚をつけていきている私は、どこにもいなかった。

しかし、私が、自分の絵をかくことができなかったとしても、それは私の責任だ。

 

私のフットワークがよくて、私に合った師をみつけることだってできたはずだが、そうしなかった。

                          (――つづく)



背にしたところへ

  • 2007.06.18 Monday
  • 14:04
上野は久しぶりだった。公園の木々はすっかり大樹になって、おおきく濃い陰をおとしていた。<ハトにえさをやらないでください>の看板。いまはやっちゃいけないんだ。むかしは餌が売店にあった。こどもがちいさいころ、ハトの群れを追い飛ばしたら、そばでえさをやっているおばさん(ハト愛護協会?)におこられたものだ。

国立西洋美術館の脇の道を通ってゆくと「搬入口」というプレートが眼に入った。あの若き日とおなじように・・・・。

東京都美術館はそのころはまだ、エンタシスの円柱が立っていて、ラファエロの「アテネの学堂」みたいだった。その階段を一歩一歩登るとき若い情熱でいっぱいの胸をはったものだった。ゴッホ展やロダン展、高校の教師のモダンアート展をみたかえり、西洋美術館の「搬入口」というプレートが眼に入った。私も搬入口というところから絵をかかえてはいってみたいものだとつい思った。

夢。そうだ夢だ。まずはおおきなキャンバスに描く。

そしてかなってしまった。西洋美術館ではもちろんなく、都美術館だったけれど。
しかも業者搬入で直接ではなかったが、一応夢はかなったと、絵の公募はやめた。

私の友人はつづけている。彼女とは、絵の教室で知り合ったのだが、なにかといえばスケッチに誘うようなまじめなひとだった。たがいに一陽会でがんばっていたが私がやめてしてしまったので彼女は私の気持ちを配慮してまったく案内をしなかった。今回千葉一陽会三十回記念賞をもらったとのメールが遠慮深げに来たので、不肖私は千葉県立美術館に行ってきた。ひさしぶりだった。

一陽会は心象をしっかりした具象に載せて描いた絵が多い。この世のものを明晰にみようとしている。

公募で登って行く(?)ためには、同じテーマで、大きなキャンバス(畳二畳分ぐらい)しかも年2.3枚書かなくちゃいけない。帆立貝の殻を何十年も書いている人、唐辛子の山を14年かいているひと、友人は宙に浮く旅行鞄と網のきれはしを描いていた。私にそんなことはできなかった。

背にしたところに行くのはこころを空っぽにして、ちょびっと勇気が要った。

そして、やはり私のいるところじゃないとおもった。

帰って友人に「行ったよ」とメール。
すると友人から返信が来た。
「*ちゃんが、私の絵を見に来てくださったその事実が私にとって最高の喜びなのです。本当にありがとう。」

絵は見に行ってあげたいですね。そして、たぶん、私はもうそれができるだろう。





 

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