シーザー・ミラン

  • 2012.10.06 Saturday
  • 22:16
マロ おすわり.jpg

 

〚カリスマドッグトレーナー「犬の気持ちわかります」〛という番組の無料放送をBSでたまたま見て、すぐにわれらがドッグ君に適用してみたところ、「それ、まってましたん!」といわんばかりに、変わった。

 

私ら飼い主は、支配やリーダーとかいうところから身を引いて生きていたヒトなので―みんなそうか―、つい、犬君の自尊心などというものを尊重しようとか――つまり人間の子供のように扱うのであった。

そりゃそうでしょ、可愛がりたくて飼うのではないでしょうか?

それが、シーザーにいわせたら、三番目。

      運動 Exercis 
規律 Discipline 
0情
Affection 

 

われらが犬君にしてみれば、センターから引き取るみちみち、べろべろな笑顔で「きゃわいいね!わんたん♥」などという奴らをみて、頼りなさMax、これはオラがリーダーにならなきゃとおもったんだろう。

 

べろべろ飼い主も、まあいちおうは躾けたが、ワンコ様はいいかげんなものは却下、権勢症候群なきにしもあらず、が、まあこんなもんかとおもっていた。

リーダーだの上だ下だと、じつにめんどくさい。

 

しかしシーザーのTVをみていると、彼奴はあきらかにわれらを支配しようとしているつもりであることは明白だった。そしてそれが身に余る役目ゆえ、犬に過大なストレスを与えている。

さっそくシーザー流のしつけをかましたところ、「暫定リーダー」は、いっぱつでスイッチがいれかわり「一員」へと変わってしまった。

そうだったのか!

 

散歩は待たないし、リードはひっぱらない。

早朝にコンスタントにしていた無駄吠えをしなくなり、放して遊んでいるときに脱走してしまうことが無くなった…などの改善がめをみはるようだった。

いつも座っていたお立ち台―たぶん見張り台―はお尻でつるつるだったのに、いまは草ボウボウ。

なによりワン公が穏やかになってしまって幸せそうだ。

そんなすがたをみることほどしあわせなことはない。

 

シーザーは、そんな風に、どこにもだれにも聞いたことがないまったく新しい方式で人間をトレーニングする。

犬の本質を知り尽くしたところから、犬をリハビリする

「犬は人間ではないのです。」


まず犬は群で生きる生き物で、まわりのおのおののエネルギーや不安定感や感情には敏感だ。私も泣いていたらぺろぺろなめて励ましてくれたことがあった。

犬は言葉を持たないから思考はできない。

ただ過去のデータが反応する。

今を生きている。

 

うちの犬は怖がりなのですが、それをなおすにはすこしづつなれさせるしかないらしい。怖くないんだとわかるまでくりかし。

 

 

愛護センターで500円払って受講したあれこれはいったいなんだったのかしら。

「犬を散歩させるな」―テリトリの確認をさせない→野生化させない―、

「ケージに入れとけ」―安定―、だもんね。

 

なによりシーザー方式で変わってしまったわれらがワンコ。

どうしてどうして犬の恩人であり飼い主の神様である、そのシーザー様は、TVの中でじつにパワフルだ。

センシティヴだし、ときおりきらめく人生論も前向きで。

なにより親近感は、「悪いことが出たときは、チャンスです」という哲学だ。

犬がどうしようもなく手におえないことをするなんていうときは「正すチャンスです」ときっぱり。

相談するカップルの関係も、直感で見抜き、さりげなくアドヴァイスする。

 

そうやって、人間によって不安定になってしまった犬をリハビリし、人間をトレーニングするシーザー父さんが、どうも離婚をせまられていて、ついに、だそうな。

ときおりフレームに入る奥さんや子どもたちに対して、微妙になにか「権勢症候群」臭あり。

従順な犬は幸せだが、従順な人間は?

「人間は犬ではないのです」―だれですか?そんなこというのは。

まあ、ひとの事情はわからないが、ほんとうに人間て一筋縄ではいかないものです。

 

 

彼の一番弟子であるピットブルの<ダディー>クン、その穏やかなお姿をみるだけでしあわせな気分になっていました。

<心の安定した犬は人生最良の友です>

 

 



☞この番組を流していたBSのFOXの無料期間は終了、以後は有料とのことでした。

 



無題

  • 2009.11.12 Thursday
  • 22:43



五月の道

  • 2007.05.13 Sunday
  • 07:12
マロと

手を放せ。・・・・・・・・・・・ペニー・ピアス



犬語

  • 2007.01.03 Wednesday
  • 08:29
マロ おっちゃん

元旦BQ会で、Nさんから豚のボーンを生まれてはじめていただいた当家のワンコは、くれたNさんにびったりかしずいて、Nさんがおかえりになると、そのあとをスキップでついていった。そして、その家をかくにんすると踝をかえして走り出したところを捜しに来たおっちゃんとばったり出会ったそうだ。
一代目もそうだったが、犬はセカンド、サードを所有する努力をするのだ。つまりファーストがだめなときの代替を確保しとく。この飼い主がおもいっきりたよりないせいもたしかに、ある。つまり、一生懸命、全身で生きているのだ。

犬には言葉はない。本能でいきている。反応するだけである。その反応を訓練して人間とともに生きていくように進化してきた動物だ。ことばで生きている人間とはちがうのだ。

「いけない!」は自分もびっくりするくらいしっかりと言い、妥協しないこと。可愛がるのも人間語でかわいがるのではなく、犬語でかわいがらねばならない。してほしいことをしたときには気持ちをいっぱいにして(おおげさに)誉めるとすぐにわかってくれる。
犬とともにいきることは犬語を人間が理解することからはじまる。

・・・・などということがこの二代目を飼ってから、わかりはじめた。一代目は権勢症候群だった。いばっていたが、実力のないトップでストレス満載、むしろそのほうがかわいそうだった。

しかし、おりおり放していると、すぐに野性がもどってくる。(放しているとすぐマイナス思考になっている私と大差ないか)・・・「おいで」「こい」といってもきかなくなってくる。
犬は(私も)やはり放し飼いはいかんようです。

じんじん仁義

  • 2006.11.20 Monday
  • 13:01
マロ 笑っている

マロは外で飼っているので、室内犬のようにいっしょに寝たりすることはいままで一度もなかった。
ある日、おばちゃんが小屋の布団をとりかえようと中にはいったところ、マロはぐりぐりからだをおしつけてきて仕事にならない。犬にも情愛というものがあるのではないか。この子は常日頃、よしよしとなでると、“ワタシのほうこそあなたが好きなんです”といわんばかりにからだをおしつけ、いとおしそうに舐めて、人間も負けそうな熱烈表現をするのである。

そこで、おっちゃんが一緒に寝てみたいと、ゴザを400円で買ってきて、それを地面に敷き、愛犬を呼んだのだ。・・・・。
マロは喜んで来たのはいうまでもない。寝転がるごしゅりんさまに体ごとおしつけて、鼻づらを袖口にぐいぐいつっこんだり、もう嬉しくてたまらない。
「笑ってない?こいつ!」ごしゅりんもまんざらではない。

次の日、おっちゃんがいないをいいことに、おばちゃんが粛々と日向にゴザを敷いて、ねころがり、愛犬の名をやさしく呼んだところ・・・来ないではないか。
けしからんので甘く、はたまた強く呼んで、むりやりこさせ寝かせたが、なんと体を離して寄り付かない。その前足をやさしく取っても、ひっこめやがる。おまけに哲学者のごとく遠くをみている。
よいではないか、へるもんじゃなし、ちこう、ちこう、

・・・・・すまん。ここはオラとおっちゃんとの好き好きスペースなんよ。おばちゃんとは、で・き・な・い・のっ

融通の利かぬ奴じゃのう。

そういえばさきの小屋におっちゃんが手をいれたところ鼻面でその手を押し返したと言うではないか。おぬし何ぞこだわりがあるな。

そこでめげることをしらないおばちゃんは、問題は場所であると仮説を立て、落ち葉をひろってつめたふくろを敷き、あらんかぎりなまめかしくよこたわり、おもむろに愛犬を呼んだ。・・・・・

さあ結果はどうなったでしょうか?


こたえはご想像におまかせします。
 

支配してください

  • 2006.11.16 Thursday
  • 12:55
訓練中
マロと飼い主訓練中

しかし、ただ好き放題させることがワンコの幸せで無いことは一代目のビーグルでわかっていたので、こんどはしつけはしっかりすることにした。しかし、私はどちらかというと猫好き的なので、リーダー職は身に余って不適であり、もっぱらおっちゃんがその抑圧された支配欲を発揮することになった。
おすわり、ふせ、まて、とリーダーウォーク。
マロはすぐにマスターし、こいつサーカス犬にでもなれるかも、出演料?などと一瞬よろめいたがすぐに立ち直った。必要以上の芸をしこむ意味もつもりもオレタチ無いからな。

訓練士のたまわく「犬は強くて、やさしいリーダーが好きです。命令されたいんです」
これが犬君の論理なんだ。おばさんもほんとはそうなんだ。うん。

犬を飼う意味

  • 2006.11.15 Wednesday
  • 12:37
マロ ドアップ
異種のいきものとともに生きることがこんなにも不思議な(ある神秘的ともいえる)喜びをもたらすものか。

愛護センターの教室にはケージが置いてあった。そのナカには犬がいた。“やれやれまたみなさんおあつまりでんな”とでもいうようにちらと目を開けてこちらをみた。「マスコット犬のタローです」と紹介される。“さて出番やで”となれた様子で出てきて訓練士の「いちにいちに」という合図にまるでショーのように排便をした。ケージからだしたら排便するようにしつけるらしいのだ。
散歩をしてはいけませんという。
毎日欠かさずできなかったら、散歩はするなという。犬にとっての散歩のいみはテリトリのみまわりである。それができないと犬はストレスになる。運動?運動にはなりませんね。犬はノンストップで24時間走る動物です。助走なしで高さ4mをとべるんです。しかし飼い主の運動にはなる、散歩をするなら飼い主のきまぐれで好きなとき、ランダムなコースでやりましょう。また、散歩の前に排便させる習慣をつける。
犬はまず一匹分の穴を掘ってだいたいそこに寝ているものです。ケージにはいっておとなしくしているようにしつけましょう。遊ぶときはけじめをもってあそぶこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「そんなでは犬を飼う意味がないとおもう」と手を挙げて言ったおじさんがいた。
わたしたちも半分くらいおなじ思いだった。
そんなタロー君のような優等生でなくてもいい。わんぱくでもいい、と思ったのでありました。いきいきと共にくらしたい。

家庭犬

  • 2006.11.14 Tuesday
  • 10:34
マロ 

愛護センターの講習では「狂犬病の予防注射をすること」と「避妊手術をすること」をきびしく言われた。
そのなかで「絶対に!」といわれたのが「放し飼いにしない」ということでした。

最初は、「ヤマだし、敷地内だし、どこにも行かないよ」と放し飼いにしていたところ、たしかに来たばかりでテリトリーは狭かったのだろう、どこにもいかなかった。
しかし、しばらくするとなにか目がぎらついて、身のこなしがするどくなってきている。野性が頭をもたげるのだろうか。そういう意味もあったのか。
犬はアンチ野性を旨とする。
「家庭犬としておだやかに生きること、そのことが犬のしあわせなのです」とセンターの訓練士が言っていた。
ふとわが身をふりかえってしまう飼い主(♀のほう)でありました。

誤解だよ

  • 2006.11.13 Monday
  • 07:29
マロ 二ヶ月

予防注射のために動物病院まで、軽トラにのせて行ったときのこと。
ケージのなかで、道中ずっと泣いておりました。
それがまたちっちゃいくせに大きな声でウオ〜ンと管楽器のように泣くので、信号で止まったりすると前後の車が不審にのぞくほどだった。

いまのいままでそのときのように泣いたことは一切ない。

いま思えば、また捨てられると思って泣いていたのだろう。憐れである。



二代目はマロ犬

  • 2006.11.12 Sunday
  • 17:13
マロが来た晩
2005年6月吉日 マロの来た晩

二代目は富里市の動物愛護センターでもらいうけた。
はいったとたんある<臭い>にまつわりつかれる。

まずは講習をうける。
犬は人間の論理とはちがうんだということをたたきこまれる。

柴系でできればマロ犬、そしておとなしい犬とイメージはできていた。
犬の捕獲器がおいてある陰惨な感じのする中庭で、十数匹の候補がケージのなかでわんわんほえまくっていた。
そのなかで、仲間にふまれそうになりながら「ふせ」をしている黒い犬がいた。れっきとしたマロ眉である。
出会いは一瞬だった。

そこからヤマまでは車で一時間半。そのあいだ助手席の私の足元におすわりして、おばちゃん・運転するおっちゃんと、かわりばんこに目をうごかしていた。

ヤマに着いてもはしゃがないで、こいつら信じていいものか随分がんばっていたが、ついに疲れてねこたれてしまった。

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