「表舞台」というもの

  • 2012.07.09 Monday
  • 07:55
2012.5月 006.jpg


 

­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­出自。カッコイイイ外面。またアピールする才能。輝かしい成果。気の利いたことを言い、ウケル…

そういう、内面のものでない価値で、この世の表舞台は人工イリュミネーションにきらめいている。

そのように表層に浮かび上がったひとたちだけが勝者というか生きる価値があるような錯覚がある。

水面下の、そのようなものを持たない人人は、いつかは浮かび上がろうと努力し、あるいはもういいとひきこもる。

またオウムのように真似事のヒエラルキーをつくって、現実を否定する。……

 

隠者という姿勢をとることでアピールする男女がいる

 

どんなヒエラルキーにもかかわりなく生きることを選ぶ人もいる。

 


なにか表舞台のできごとを自分の人生のようにしていながら、自分は表舞台には登れず、スタッフにもなれず、楽屋にも行けず、劇場の観客にもなれず、見えない観客のひとりとしてしか参加できない――そんな人も、ネットであれこれと参加してみたりと、現実―表舞台に上ることをもとめている。――ようにみえる。

 


情報が身の回りだけだった時代は、そんな「表舞台」に目を遣って生活してはいなかった。

そもそもTVがなかったから、ラジオや新聞、映画館にスターはいたが、なんとなく別世界な雰囲気だった。

なろうという人はごく特殊なひとだった。

芸能、映画、歌、などに興味を持ってはいかんという雰囲気があって、高校のときビートルズが来日したのだが、世界が違うとおもっていた。

いまおもえば千載一遇のチャンスを逃してしまった。

 


現代、表舞台だけが世界のようにおもってしまうのも無理はないと思う。

私のような病人はとにかくTVをつけることでなんとか世界につながっているような錯覚をして、気晴らしをしている。


その画面で、たまたま表(TV)にでられれば、シロートさんがなにかうけを言ってみたり演じたりしている。最近はトミに堂々としている―ようにみえる。


先日、ドキュメンタリ番組で、「ここは涙」のところとばかりに、いい歳をした爺婆が「なみだをぬぐって」みせていたし。

自分を救ってくれたという奥さんを亡くした男のドキュでも、「ここ泣くとこ」でちゃんと「涙を拭う」。

なんかそうじゃない悲しみ方というものがあるとおもうんだが。

みんなちゃんと空気読むのね。

小さな子供でさえ、表にでたがって、望まれているパターンをそつなく演じている。

明るく軽くアピールし、機転が利かせられれば、好印象。

「表舞台」というひとつの虚像。

 


ツイッターで何百万フォロワーをゲットしたおばあちゃんは、「これがなかったら『ただのおばあちゃん』で終わるところでした。」

どこに「ただのおばあちゃん」がいるんだ?

「ただのおばあちゃん」ではない、というのは、どんなおばあちゃんをいうので?

 


表舞台へ跳躍したがる筋肉。

これは遺伝子か脳か。

それともこの世のだれもがなっとくしている価値観なのか。

モグラにはわからないことだらけ。




 


PC無し生活

  • 2010.08.31 Tuesday
  • 11:29
2010.8月 018.jpgコバギボウシの花

 

パソコンが無いと、本を読む時間が長くなったし、TVをぼんやりみている時間が多くなった。

それはそれで、なにか さびしいということはなかった。

ストレッチも瞑想(もどき)も多めになった。

 

ブログのことも気になったのだが、一番不便をかんじたのは、検索だった。

そういえば、PCの無いころは、調べ物は図書館で、検索し、注文し、取りに行き、

読んでコピーし、返却し、期間がすぎるとおしかりの電話が来るといった生活だった。

それらのすべてが、Google検索と、Amazonで購入に変わってしまった。生活一変。

探索の方向性もだいたい絞れたし。

何かな?→調べたい、Google検索というパターンができてしまっていた。

今回それができず。

 PC依存症に陥ってはいないようだったが、やはり腎不全の私にとってPCは、

「体が休む時間」であったことがわかった。

それが必須なことがわかったので、あれこれ休むヴァリエーションを改めてあげてみた。

寝る、マッサージチェア、ストレッチ、ヨーガ(っぽいなにか)、瞑想(っぽいなにか)、本

読み、英語(クリシュナムルティのだけ)の書きとり、TV、そしてパソコンはおおきい。

(むむ、みょーに充実。これ全部で一日中休んじゃう)


病気の私でも、車とパソコンで、社会につながっていられる。







 


はじかれてる感じ

  • 2010.05.15 Saturday
  • 17:18

                                          二輪草


私は30才のころ、入院を三カ月した。子供には辛い思いをさせ、夫には迷惑をかけた。

退院したときに感じたことは、現世は、なにかちがう力で動いているという感覚だった。

病院の塀の外側には、強烈な正(プラス)のエネルギーが、どうどどっと、音をたてて流

れていた。

塀の内側は、現世とはちがうコンセプトで流れていて、私のような病人にとっては、住み

やすいところだった。

生があり、死があり、病苦があり、再生があり、諦めがあり、励ましがあり、人間の真実が

ふつうにあった。

 

このところ、新たな症状がでてきて、落ちていた。

現世になじめない感覚ばかりが苛み、いっそう引いてしまっていた。

 

「掲示板」というところで、嚢胞腎のひとびとの世界に行ったら、こころのほうはなんとか

回復した。

 

病人は、健康な人々の活力、仕事によって、生かされていることはたしかです。

私もできることをしよう。













凡庸のまま朽ち果てる恍惚

  • 2010.05.11 Tuesday
  • 10:27




 

最近記事の更新ができていますが、それは、私の体調が「よい」からではなく、「悪い」

が定着したからだとおもっています。

 

動くこと―散歩とか、お出かけとかは、無くなり、家にいて疲れを少しづつながしながら

動いています。

幸い、尿毒症は、頭まではまだ来ていない(と、思っている)ので、書きつづることがで

きています。

いずれ、尿毒まみれの文章(どんな?乞うご期待!既にか?)になり、それもできなく

なる、というか、書きたくなくなるのではないか。

今日はいち日寝ていました。

腎臓が痛く、頭もぼーっと痛いのが続いていました。吐き気もやってきました。 


疲れやすい体は、出かけたいと葛藤をするのではなく、出かける欲求そのものを持た

なくなるんですね。

家にいたくなるのです。家にいることが、いちばん安定しています。

 

毎年、親類が集まり、ヤマの四季や焚火などを楽しむイベントが、ついに今年からでき

なくなりました。

大人子供総勢十数人は、もはや無理です。

みんな、とても楽しみにしていたことなので、断らねばならなかったことが辛かった。

 

私自身、人生に断られていることを、こんどはそれを反転して断らねばならないという

構図になっています。

なかなか皮肉なことでしたが、もっとも苦手とした「断る」訓練をさせてもらいました。

 

これからは、「断る」ことが、続くと思われます。

辛い。

 

いちばん辛いのは、人のためになにかをしてあげることが、ほとんどできなくなるという

ことです。

「じぶんのことでせいいっぱい」というのは、情けない状況です。


いるだけでいい、かちがあるのだといいますが、価値なんて…。

どうして、人間は、存在している価値などというのでしょう。かんがえるのでしょう。

なんですか?存在している価値って?存在している意味って?

もし、そんなものがあるとしたら、他者や自分が決めるのではないと思います。

 

 

これ以上、断らせないでくれよ~!といってみたいのですが、断れるということが、私の

人生の豊かさともとれるので、ありがたく、つらくおもっています。ごめんね。


 

つくづく、ひとの幸福に関与できることが、それ自体が、幸せなことなんだとおもう。

 

ブログの内容も、

垂直方向になることが予測されます。

 

モーツァルトは、「旅行をしないひとは、まったくあわれな存在だ」というようなことを手

紙に書いています。

 

私も二十代は、旅の空でそう思っていたでしょう。

 

手紙は、「…旅をすると、凡庸なひとは凡庸のままですが、(才能のあるひとには…ナ

ントカだ云々)」と続きます。

 

凡庸のまま朽ち果てることの恍惚を、若かった天才音楽家が、知るはずがありません。

 

凡庸のまま、意味もなく、価値もなく。

その恍惚などというとなにか結構なお手前のような言葉ですが、はやいはなし、ぼけ

ーっとしていることです。

 

 

 

 


とむらいについて。

  • 2010.04.28 Wednesday
  • 23:01




 

「良いお葬式だった

「参列者が*百人

「火葬場にも*十人

「こうでんが*百万

…という話を最近聞いて、思ったこと。

 

その人は家長だったが、病気で仕事もせず、家でごろごろしていたという。

うっとうしがられて…。こどくの中で気がついたら死んでいた…。

やはり、持病のある人から死んでゆくんだなあ、とちょっと思った。ひとごとならず。

しかしながら、葬式は盛大だった、と。

 

私の死んだ兄は、生前から言っていた。

「へんな癖があってねぇ、ひとと会うと、『このひとは俺の葬式に来てくれるひとかそうで

ないか』とついかんがえちゃうんだ
ヨ」

 

私も現人生が虚しかった時に、なにを血迷うて、「せめて葬式には来てくれるひとがあ

り、良い葬式であってほしい」、と
願ったことがある。

老人ホームのおじいちゃんおばあちゃんが車いすで来てくれたら、最高だ、と。

評価されなかった私へのせめて最後の評価となるはずだ…。

 

さて、参列者の何人が、こころからそこに居るだろうか?

 

車いすの参列は飾りじゃないんだよ。

 

こころがあるなら、なぜ?生きてる時、来ないのか?

 

死後の「評価」―「名を残す」―をみている人生の嘘臭さ。

 

棺の蓋が閉じるときに、そのひとの評価が定まるといわれる。

「さすがだった」といわれることは、なかなかすごいことでもあろう。

 

しかし、私はまったく、いらない。

基本的にはせいせいしていただければ。

もう会えないことを寂びしんでくれるひとが、幾人かいればありがたい。

 

今朝の新聞で、猿が、死んだ子猿を背中に乗せていることがあるそうだ。

それは「弔い」の原型だという話だった。

さすがに霊長類、われら人類の兄弟。

「とむらい」は、こころの場所にあり、ひとそれぞれのとむらい方がある。

 

「式」という一切のことを嫌った、私のさいごは、火葬だけにしてほしい。

充実した人生のエンドにふさわしく。

 

…というのは願いであって、「とむらい」は残された者の範疇なので、好きにしていただ

けたらいいです。はい。









 


縄文時代

  • 2010.04.04 Sunday
  • 13:46
 

縄文時代が好きで、博物館へはよく行った。

 

青森の三内丸山遺跡が本格的に発掘された時、国立佐倉民族博物館で展示があり、これは面白かった。

千葉の加曾利(かそり)貝塚遺跡には、犬の骨が発掘されて、それは柴犬のようで、狩りの仕事を一緒にしていたらしいのだが、丁寧に埋葬してあった。

そのようなおおらかな差別のない愛のようなものを、縄文にはかんじとることができる。

 

なぜ縄文時代か?というと、岡本太郎の「縄文火焔土器の衝撃」から入った。

上野の国立博物館でみて、不肖私もガッシと魂を掴まれた。

(しかし、もし岡本太郎が言わなかったら、たぶん見過ごしただろう。)

このすさまじいデコラティブな土器は、なににつかったのだろう?などという疑問から、ついつい縄文時代にはいってしまった。

そこには、自然と分離していない人間の生が(まだ)あった。

 

縄文時代の人をまとめていたのは、呪術にちかい宗教的なものであったらしい。

 

平たい土偶=板状土偶というものがある。

集落遺跡のゴミ捨て場のようなところから大量にでてきて、しかもすべて人為的に壊されて捨てられていたという。

いっぽう家の祭壇のような場所らしいところ(中心)からもちらほらでてくるので、いったいなんなのかという結論はでていないが、たぶん呪術てきなかに関係するのではないかといわれている。

私の推理は、埴輪とか土偶は身代わりという意味があることから、怪我や病気を代わりに負って、損傷させて捨てる、という儀式であったのではないか。

 

三内丸山の15メートルにもなる高い塔は、見張りというよりも、カミにちかづく、祭祀の場であった可能性が高いといわれている。

たぶん巫女てきなひとを中心にまとまっていた集落で、カミのお告げ的な政治が敷かれ、狩猟や、漁、自然採集、栗の木が植えられていて、豊かな食があったとおもわれる。

 

三内付近では採れない黒曜石(ナイフや矢じりに加工)が、みつかっていて、遠くの地域と交易をしていたらしい。

集落同士は襲い合うこともなく、交流していたようだ。

 

 弥生文化のさきがけ陣―たぶん大陸から渡来―によって、共存し交わり、あるものは日本列島の北と南におしやられてしまったようだ。

そこに戦闘はあったのだろうか?少なくとも武具のたぐいの発掘は無かったようだ。

北端―アイヌの文化、南端―沖縄の文化に縄文の名残があるようで、どちらも自然と分離していない。

 

しかし、あの火焔土器は何に使われていたのだろうか?

実用的ではないので、やはり祭祀のようなことにつかわれていたのでしょうか?

 

 なぜ縄文時代か?というと、ひとつには、有史を支配した権力者というものが、なぜ、どのようにして出現したのか、疑問におもったからだ。

(以下、私の推理)

巫女のような存在が、カミと交わりお告げを聞くというようなことが政りだった神話的な時代があり、その後、なぜに、権力を握るものがあらわれ、支配するようなことになってきたのか?

狩りの集団は、やはりすぐれたリーダーがいるが、=集落のリーダーということにはなっていなかった。

移動能力のたかい人種は、「ここ」でほそぼそとある生活を送るよりも、「どこか」によりよい生活があるといことで、移動してゆく、それにはリーダーがいただろう。

縄文から弥生へ。稲作がはじまりさまざまな知恵が必要とされてきて、集落単位での優れたリーダーが力をもってくる。

よりよい」ということをもとめて、人間は進化してきたし、文化も成熟させてきた。

より豊かに、より安全に、より質の良い生活をもとめてゆけば、その集団のすぐれたリーダーが台頭する。

そんなところから、力による政治がはじまってきたのではないだろうか。

 

これまで戦にまさるものが政権をにぎって支配してきたころから、まことにじょじょにであるが、もはや独裁政権ははやらない。

日本でも「天下取り」というかんじは、だいぶなくなってきた、すくなくとも露わではなくyなった。

福祉社会そして持続可能な緑の地球への道を、あるきだしたなあというかんじが、政治音痴の私にもしてきたものだ

そして、あてどなく、国境のない世界への夢をみる。

 










 

 

 

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