古層への旅―つづき

  • 2016.03.12 Saturday
  • 22:17
2016.1.13 001.jpg


瀬川 拓郎さんの『アイヌの歴史』には、アイヌ社会も富をもとめ、ヒスイや鷹の羽などを珍重し私有していたとのこと。そして持つ者が格が上であり、力をもち、アイヌ社会も格差があった。
縄文時代にも、貴重な物をもとめて遠方へおもむき、持つ者持たぬ者と格差があったという。(小林達雄氏)
それは、エゴとしての人間のしぜんのなりゆきではないだろうか?
この世は弱肉強食の世界であることはむかしもいまもかわらない。
 
中沢新一さんは、日本列島には、古来、流れ者がゆきついたところで、縦社会から追放された、あるいは忌避したひと(一例として中国大陸の漢民族国家から)が流れてきたのではないか、と言う。また、なにかと新天地をもとめる自由の民が(丸木舟で)やってきたのではないか。火山の列島は災害も多いが、圧倒的に自然が豊かで、ひとびとを養ったことだろう。
そこでは、隣人とのおおきな戦いもなく、流入民はおだやかに受け入れてともに栄えたという。いっぽうで、なかには一旗揚げたい人間もいたわけで、頭のよい人が台頭して、今ますますそうなっている。
日本のみならず、頭のよい人は所有をし権力を行使し、彼を先頭に人類は栄え、生活は清潔になり便利になり豊かになってきているが、たいせつなものをとりかえしがつかないほどふみにじって栄え爛熟している。それが知がなした結論のひとつだと、私は思う。
 
 

古層への旅

  • 2016.03.03 Thursday
  • 16:05

物質文明が栄え、弱肉強食の掟の世に、ほんとうに大切なものはみえないし、言葉にはできない。
世界のX次元にはあるという宗教・スピリチュアルもあるが、私には、自然がまだ踏みつけられずに圧倒的になびいていただろう古代には、なにか、反物質―物質にあらざるもの、たとえば「真実」のようなものがあるのではないか?ひとの「よきもの」がいきていたのではないか?としつこく考えていた。
 
むかし、加曾利貝塚にいって犬の埋葬を見て以来、縄文人のこころというものがつたわって、漠然と、縄文時代は「そのもの」とともにあったのではないか?というおもいがしきりにしてならなかった。
自分の粗雑な頭で、縄文にアプローチして、それなりの感触はつかめたが、その根拠・内容については、考古学シロートの私が軽々しく言うのはやめておく。考古学という厳密で口が重い学問に敬意をはらって。
 
「なにかとはなにか」というわけで、その関係する本をいろいろと読んだのだが、その中で、中沢新一氏の一連の著作がおもしろかった。
 
「精霊の王」「森のバロック」「東方的」そして、カイエソバージュ5冊すなわち「人類最古の哲学」「熊から王へ」「愛と経済のロゴス」「神の発明」「対称性人類学」、そして、「哲学の東北」「アースダイバー」〆は「芸術人類学」。
…と、つぎつぎと読んだのは、おもしろかったからだけど、ひとつには「それ」にとうたつするようで到達しない。いずれあきらかにされるだろうというおもいでつぎつぎ本を読んでいったワケです。
宗教とかスピリチュアルというと―むしろ言葉をなくして―いっきにに「そこ」へゆくが、それに比べて知である中沢節は、浄土とか空とか意識とか宇宙とかそれらをかすめながら、死とエロスが惑星のように求心的にまわっている。この軌道がマニアックでした。
そのアプローチが楽しめた。けっきょく「対称性思考」というキーワードは明示されたが、それもなんかわからぬままに終わってしまったという印象がのこった。
 
「対称性思考」というのは、みんな同じだとおもう考えかたで、なかでも狩猟され食われる動物も人間とおなじだとする。
自然である人間としていきてきたその基本として、人間は自然の一部であり、虫も鳥も獣も人間も同じであり、生まれてくるもの 生きているもの 死んだもの それらが渾然一体となっている世界。助けてくれただろう猟犬を丁寧に埋葬するこころの、また死に赴いたものへの再生のねがい、樹や水や食物や、いのちをはぐくむものへの感謝、いきとしいけるものへの対称的な視線、やさしさ、その豊穣な世界。それは縄文文化だけでなく北方ニヴフ(ギリヤーク)とも共通する。
 
❋対称:ものとものとが互いに対応しながらつりあいを保っていること。
   
2.272016 028.jpg

赦し―藤沢周平を読んで

  • 2014.04.08 Tuesday
  • 22:41
2013.4.22cp 032.jpg

 
人が生きてゆくということはきれいごとじゃない。
人は弱い。いつわりの幻想をまとって、やっとこさ生きているのだと思う。
いやなものは見ないようにして逃避してやっといきてきたのだ。
 
『武士の一分』という映画を観て、藤沢周平という原作者に興味をもった。それは、ナマの人間を冴え冴えと描いていて、人間の関係性のなかにドラマはおこり、最後は赦しがあるからだ。これはどうも気持ちがよい。
短編集を読んだが、人生の機微、人間と人間がかかわる味、自然と人間を描いて秀麗、ほんとうにまいったなあとおもわせる。
そして、藤沢文学というのは赦しの文学だなあと思った。
最後に赦しがあり、赦されなかった人物も作者によって―つまり天に―ゆるされる。
 
ひとの弱さはときとして相手を傷つける。傷つけられたほうは、プライドはずたずた、怒り、不快感、断罪したいきもち、そんなものを掴んでいる手をはなし、相手のありのままを受け入れる。
赦す人は愛を行う人。
愛とは神の行為。
赦しとは、愛すること=神の行為をおこなうことではないだろうか?
というか、ゆるさぬのは人間だけで、その人間は(万物も)すでに赦されてあるのだろう。



 

さあれかし いざ学ぼうではないか

  • 2012.02.26 Sunday
  • 22:12
5115J7RFAEL__SL500_AA300_.jpg



 

■≪一万年の旅路 THE WALKING PEOPLE―ネイティヴ・アメリカンの口承史≫

―― ポーラ・アンダーウッド 星川淳一訳 

を読み終えました。おもしろかったです。

 

■石器時代の話というので、捏造するような才能がこの世界にはあるだろうし、ちょっと疑いましたが、読めば読むほど、これはほんとうだとおもわざるをえません。

 

10万年前、アフリカ大地溝帯から歩き出した人類(ホモサピエンス)は、さまざまな方向へ歩き出した。

そのなかでヒマラヤ山脈の北側をとおり、朝鮮半島の付け根あたりに定住していた民に、石が降り(地震)、海がもりあがって(津波)、おおくの犠牲をだした。そこから話は始まる。(約1万年前―日本列島では縄文の時代)

 

■その海辺での地震と津波で、多く死者もでて、よりよき地をもとめて北、はたまた西の方角に歩き出す。

 

■そしてベーリング海を越えて、北米を横断し、オンタリオ湖畔に定住するまでを、文字は当然無く、口承で代々(一万年の間)伝えられたものを作者(イロコイ族)は祖父から聞き取り文字にしたのが、嘘のようなこの本です。

 

■文字などの無い石器時代の話が、口承されたというとアイヌのユーカラを思い出す。

 

 

■さまざまな苦難を、集団で助け合い、知恵を出し合い、工夫しながら、のりこえてゆく。

■とにかくよく学ぶ。

■小児麻痺の子が生まれる。
そういうときは四人の老人がその子を預かり森にはいり、その子を連れずに集落にもどるということになっていたが、その子を産んだ母親は誰も共にするひとがいなかったので、せめて子どもとともに生きてゆくことをのぞみ、ねがいが承認され、育てることになった。
母親はその子を肩に乗せてあるいてきたが年月と共に重くなり、母はついに腰がまがり、息子は自分を森に放置してくれるようにたのんだ。
森はなんとか食べ物はあったのだろう、日々を食いつないで、特に、大きな鳥の巣の下に這ってゆくと、そこはこぼれてきた肉片などもたべられた。
そこに落ちている物は食べられるモノだ。
そうしてどの果実が毒でどの小動物は食べられるといった判断にすぐれて部落にもどり、その判定士の役をかってでた。
そうやって経験とデータをもっていれば一族の役にたち、役にたつ者は生存権が与えられる。

役に立たず足手まといはきりすてられていた石器時代、このように学びは重用される。

 

■また、歳をとったものは、みずから山に入ってゆく―姥捨て―しきたりで、寒い時期に山にはいっていったひとりの男が、寒さの余り死んだ動物の皮をはぎ、川の水で洗って噛んでなめせばやわらかくなって纏うことができることを発見し、集落の<短い足>(こども)が寒さで<朝起きない>(死んでしまう)ことに役に立てないかと戻って、その知恵の伝達者になった。

 

■四足(よつあし)を狩るのも、落とし穴を作ったり、崖に追い込んで、棒で背骨を砕き石槍を腹に突き立てる。

その猪なりバイソンなり、「群からわかれて罠の方に行ってくれたのだ」と考える、「われわれの糧になってくれた」と感謝をささげ尊敬をささげる。また獲った「四足」はすべて利用する(眼球の用い方だけ思いつかず)。

適度に獲っていたというが、獲り易いナマケモノの一種はすでに絶滅したものもあった。

 


■「いざ、学ぼうではないか

とにかく、よく学ぼうとする。

石器時代というとやじりをつくり、動物を追いかけて狩りをしていたとばかり思っていたが、こんなに、知恵をおもんじていた。

 

 

■「もう石のふってこないところにゆきたい」と歩き出すのだが、ベイリンジア(いまのベーリング海峡)凍っていて歩いて渡れたが、この本には海も歩いて渡っており、まったくの地続きではなかったようだ)をこえるところは圧巻だ。

 

■子孫によりよき生活を求め、歩き続ける。

このへんで定住したらどうかと私などはおもうが、あるきつづけるのだ。

力はもちろんのこと、やはり知恵のあるものがリーダーになり、気付いたり工夫したりやりくりしてゆく。

 

■現在のアメリカ大陸にはいってくると、先住民などの異集団との交渉がひつようになってくる。そこでも、戦うのではなく、相手にはいりこんで「学ぶ」ことをする。

 

■結局よりよき生活を求めて、あるきつづけ、オンタリオ湖の畔に定住するのだが、そこでその後イロコイ連邦をつくった。

 

■そのずっと後、彼らは海を渡ってきたヨーロッパ人に、西へ西へとおいやられ、殺され、残ったものはネイティヴといわれて僻地に押し込められることをおもうといたましい。歴史というのは、殺戮に満ちている。

 

 

■生物は<生きのびること・繁殖すること・継続すること>をめざして進化してきた

アフリカ大地溝帯で人間になった猿は森をでて、グレートジャーニーをする歩く民であった。それは、生きのびること繁殖すること継続することにくわえて、よりよきをもとめてゆく旅路だった。

それはいまにつながっている。

 

■生きることは、学び、工夫し、変わること。

苦難にこそ、学びがあるということを、私たちの祖先が行ってきた。

さあれかし」(そのようにあれ)と唱えながら。





 

 

生きて関係すること

  • 2010.10.28 Thursday
  • 21:53
 


「甘口辛口」というブログを愛読しています。


事実唯真という哲学をベースに、この現世にいきいきとした好奇心をもって対峙しておられる、そのkazenojijiさんの記事に書かれてあった、その本を、ひさびさに行った図書館でみつけました。


   市原恵理「黒い部屋の夫」上・下巻。細かな字で二段組の本です。


ブログで「記憶の記録」というブログに書かれていたとのことですが今はもうなく、

その内容のあらすじは、kazenojijiさんが、わかりやすく書いておられます。


http://blogs.yahoo.co.jp/kazenozizi3394/archive/2009/11?m=l

 


新型うつ病という、自分の好きなことはやるが、いやなことには身体的な拒絶を

する病気があるそうで、その“夫”さんがその病で、著者“妻”さんがその凄絶な

生活内容をつづっています。

 

結局夫さんは自殺してしまうのですが、死後書かなければならなかったという筆

者(妻)の気持ちが私にはわかりました。一生懸命そこで生きたのです。

 

夫さんは、純度100%の見事な自己中心的な人で、よくぞここまで甘やかしある

いはほったらかして育てたものだと思われました。


妻さんはといえば、母親が突き放しライオン型の猛女で、自己肯定できないとこ

ろをある面やりすごし、ある面頑張ってしまう傾向にある。

 

まあ多かれ少なかれ、みんなそこそこ泥沼なのですが、この世には、人間と人間

以外のものと関係をするためにいる、とすれば、それを回避、あるいは逃げたと

しても、傷ついたりもがいたりしなければならない。


それをどう生きるかではないでしょうか?

 

著者は、どんな夫婦の関係であってもいろいろあり、その苦難をともに乗り越えた

穏やかな老夫婦になりたいという夢を持っていました。

 

死んでしまっては、関係することはできないのです。

 

 
..............................................


私は人が生きる意味を、考えた。


夫が、あれほど疎んだ夫が、生きていたらいたで必ずや問題の種になっていたで

あろう夫が、それでも生きていた方が良かったと思う意味を、考えた。


そしてやっと思い至った。答えは逆だった。

 


何か意味があって生きているんじゃない。生きているから意味が出てくるのだ。


私は娘を守るために生きているのではない。生きているから娘を守れるのだ。


楽しいから、好きな人がいるから、目標があるから、立派だから、生きているんじゃ

ない。


まだこの命繋いでいるから、楽しめるし、好きな人に出会えるし、目標を作れるし、

立派になる可能性もまだのこっている。

 

私は無力だから、誰かの心の闇を簡単に取り払ってあげることなんて出来ない。

生きた先に輝く未来があると保証することも、光を探してきてあげることも、なにも

出来ない。でも力及ばないと知りながら、光あれと願い、見つけられるはずだと信じ、

それまでどういう形であってもただ生きて欲しいと願っている。 


                                                         ――黒い部屋の夫(下)p233

 

 

 



このブログに対するコメントにはいろいろあって、夫さんの自殺は計画殺人だというのまで現れたそうだが、検察か裁判官か。

どんな本であっても、ブログであっても、私は正邪を判定する評論家として読まないことをあらためて思いました。

 

 なかなか泥沼関係の本に手が伸びなかったものですが、市原恵理さんの緻密で鋭い観察と描写で、人間のありさまをまざまざとみせてくれました。

 

ご自身の泥沼をよく書いてくれました。
















三浦哲郎短編集

  • 2010.10.11 Monday
  • 17:30
002.JPG


ずいぶん昔のことだが、ある文芸誌で、ひとつの短編を読んで、こころにふかく沈んだ。

それは三浦哲郎(てつお)というひとの小説で、おじいさんが首吊りをして木にぶらさがっているのを、お

ばあさんは見上げるが、ぼけていて、ぶうらんとか言ってその悲劇が理解できないかなしみと

いった内容だったと記憶している。


としよりの自殺という悲惨なことを、気負いのない文章で書き、そこに上質のユーモアがひそ

み、こころをつかまれた。薫り高い文章だった。


いつかほかもよんでみようとおもいながら何十年もたっていた。


その作者が亡くなったということで、思い立って、短編集をとりよせて読んだ。


「忍ぶ川」も書いたひとだった。

 


短編集「母の肖像」


「おふくろ」のことが書かれている――
ああだったろう、こうだったろう、と心が気にかけていたこ

とが、なにか日常のさりげないすきまにふとわかってくる。


だからどうということもない。


そうだった、と余韻のみがひびく。


暮らしの中でに幾重にもかさなった真実が、解けてゆくときがある。

 


弱視の姉が、
お嫁には行けない境遇のなか、水仙の花で、ひそかに好きだった医学生がいた

ことがささやかに語られている。

 


また、父親の遺品から拳銃(「ペストル」とおふくろがいう)が出てくる話。


四人の子の出奔・行方不明そして自殺、そればかりでない困難な人生を、どうしてもだめだっ

たら終わらせようとして、父は持っていたのだろうと推測するはなし。

 



文章の芸術である短編小説。

短編は、文で編みこんだ美しい織物のようだ。


私も一生に一編でもいいからこんな「織物」を織ってみたいと憧れつつ、迷路にまよい道草を食

い、こんなところまできてしまった―すなわち、才能が無いということだった。

 

 

.「おふくろ」の南部弁のやわらかさ。

 

私の父方の祖母は南部弁が残っていた。


祖先は東北南部からやってきたのでは、ともいわれていた。


父も「す」と「し」がかなり近い発音だった。


おもしろがって「寿司」といわせて、「すす」といっていた父。


祖母は私が産まれて、実家から何十キロも歩いて、「**子、()だか?」とやってきたそうだ。


「**子、居るか?」のまちがいだろうとずっとおもっていたが、南部弁だったのかもしれず。

 

 

探究心のほうが焦燥していて、そういう文学からは遠ざかっていたが、オトナシクなんでも読ん

でみようというキモチになっている。


やっと、風の吹く丘に到達できたようでもある。

 






 

はてしない物語(ミヒャエル・エンデ)

  • 2010.09.21 Tuesday
  • 13:39


 

友人からぜひ読んで!といわれて、ファンタジーはあまり興味がなかったが、読み始め

て夢中になった。


これは子供の童話ではない。


いや、子供の童話とはこうでなくちゃ!とよみすすむにつれ思いを深くした。

 


主人公の少年が自分を探す旅にでる。


いろいろなこの世あの世の存在と遭遇して、成長し、自分に出会ってゆく。

 


そのなかで、何十年たった今も思い出すのは、少年バスチアンが、地面を掘り起こす

ことを命じられ、湿った何層にも重なった箔のようなものをほりあげてゆく。


その箔には過去の母親とか父親とかの記憶で、その銀板を「見る」ことを課せられる。


通過しなければならないこととして。


私たちは、親にどうされたとかこうされなかったとかいうことを、深層にしまいこんで、な

にかつらいことがあるとそこからひっぱりだして「このせいだ」と言っていないか?


そうやって逃避している部分もある。


だからこそ、過去のこだわりは見なければならず、見ることにとって、定着するのでは

なく、少年の手の中で春の雪片のように消えてゆく。


前に進むには、掘り出してみつめなければならない。

 


その友人は、絵本作家になることが夢だったが、こういった。


「子供の本はだれでも書けるようにおもわれているけど、それはちがう。むしろ老獪とも

言える精神で書かれなくてはならないのよ」








村の秋

  • 2008.08.18 Monday
  • 22:23
JUGEMテーマ:日記・一般
yamasemi


立野窯のHP
に内山節さんの

「やませみの鳴く谷」

「里の在処」

の紹介がありまして、それをみたうちの怪人が、読みたいというので借りてきました。

 

 

私は「やませみの鳴く谷」を読む…

 

著者は哲学専攻と書いてありましたが、文学者か詩人かのような、ゆったりとうつくしい文章でした。もちろんその主流は哲学で、哲学をこんなふうに語れるのは理想です。

 

まず、『方丈記』と『妙好人論集』を比較して、

『方丈記』のなかにしぶくながれる現世への流し目を指摘する。

 

一方、『妙好人論集』のなかに、鳥取県の村に源左という字を識らない男の話がある。

源左は、草を刈って、その重たい束を負ってくれた牛を、親様(阿弥陀仏)と拝むし…

また、火事で家が全部焼けてしまったときには「重荷をおろさしてもらいました、前世の借りをかえさせてもらいました」と喜んでいる…

源左の畑で盗草をしていた男に、『ここもええけど、そっちのええところを刈んなはれなあ』と話しかける…

そんな源左もまた世捨て人の一人だと著者は言う。

 

鴨長明が「暮らし方で世捨て人になりながら、そのこころはこの世の現実から離れることはなかった」のとは反対に、「源左はふつうの暮らしをしながら、その精神において現世を超越し」往生をとげた。

 

著者は

宿であった男のしごとに、一日ついて行くのだが、そこでさまざまな村人と出会う。その了三郎という男は、村人が採って干した薬草を、あつめて卸すことをしている。「息子が薬草のネット販売を計画、大学でるとロクなこと考えない」と。

了三郎は言う…

 

「…山に行くだろう。薬草がはえているだろう。おっ、しめた、もうかった、こう思うようになったらいかんのよ。あっ草がある、ありがたい、すまんがわけてくださいなってな、手を合わせながら採る、そう言う人が採った草は精気がつまっててな、別に薬効に変わりはないんだが、うん、違うんだ」―――<やませみの鳴く谷>第二章 村の秋 より

 

著者は自分には鴨長明をかさねてみるが、村人らに源左をかさねて、やわらかいまなざしをくずさない。

また、この本の表紙が原雅幸さんの画で、唐松がとても美しく描かれていている。



悪人―愛する者の不恰好

  • 2008.05.31 Saturday
  • 16:45
akunin

<悪人>吉田修一を読む。

出会い系サイトで会った男と女。
ふとしたはずみで男が女を殺してしまう。
その男(祐一・27才)を中心に、それに纏わってくる人間を描いている。

この作者は読者を信頼していると思う。

五感を駆使した描写がいい。
その場の匂い、空気の流れ、などがよく感じられる。

説明が控えめな文章などもそうだ。
読者にすこし考えさせて、気づかせる微妙さが、うれしい。


この作家の著作には「無口な肉体労働者」がよく登場する。
これにもあまりしゃべらない土木作業員が主人公で登場するが、かなしいまでに愛情を与えて不器用だ。
彼が行動にでる愛は正反対の行動になってしまい、相手はそれに気がつかずに、しかし救われているのだ。

厚い本だったが一気に読んでしまった。ほんとうに上手だと思う。最後は胸が詰まった。

殺すつもりもなく女を殺してしまった祐一は耐え切れず、それしか方法のない出会い系サイトに行き、また別の女にであうのだが、この光代(30才)という女と祐一はほんとうに求め合い、与え合う。

光代と祐一は逃避行を続けるのだが・・・・・・・・・・・・・・

作者は祐一をあくまでも理解されない孤独のままにせつなく描いた。
しかし読者だけは、祐一を理解して本を閉じるだろうと、作者は読者を信頼している。


さすが男たちはそれぞれの存在感があり、生活感などむせるようにえがかれている。
女の描き方もほかの男の作家からくらべるとあっと思うくらい接近していて感心してしまうが、それでも男の描写とくらべると淡いのはいなめない。男の濃度があまりに濃いのかも。


女をいたぶり蹴飛ばして、結果この殺人のきっかけをつくってしまった増尾という男がいる。働かず遊び暮らしていてどうしようもない人間として描かれている。

殺された女の父親(佳男)が、その増尾をスパナをもって追いかけ、路上で格闘するが倒されてしまう。
なおも、増尾を追いかける佳男に増尾の親友と名乗る鶴田という男がなぜか道案内してくれる。

「アンタ、大切な人はおるね?」
佳男の質問にふと鶴田が足を止めて、首を傾げる。
「その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人たい」
佳男の説明に鶴田は黙って首を振り、「・・・・・アイツにもおらんとおもいます」と呟く。
「おらん人間が多すぎるよ」
ふとそんな言葉がこぼれた。
「今の世の中、大切なひともおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、なんでも できると思いこむ。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思いこんで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。ほんとうはそれじゃ駄目とよ」
鶴田はじっと立ち尽くしていた。・・・・・・・・・・



愛するということ、大切なひとをまもるということ、それは不恰好だし、カッコよくはいかない。
しかし、馬鹿にされても、なにもかも失い刑務所に入ったとしても、愛したのなら、大切な人がいたのなら、魂はなにも失いはしない。

終章、孫の犯した殺人現場のガードレールに、祖母が結んだオレンジ色のスカーフが「希望」のようにこころにのこる。







JUGEMテーマ:小説/詩


フランツ・カフカ

  • 2008.02.20 Wednesday
  • 20:59
kafka


カフカは書いたものを自分で出版しようとはしなかった。死後、親友のマックス・ブロートが、遺言として死後焼却をたのまれていたにもかかわらず、編集して世にだした。去年、池内紀さんによるあたらしい解釈による編集および訳が出版された。その池内紀さんによる『カフカを読む』を読んだ。

カフカは身過ぎ世過ぎを役人としてまっとうし、それ以外の時間を書くことにあてた。
絵描きでは、官吏で日曜に描いたアンリ・ルソーがいる。
私はそのような生きかたにとても興味があった。「仕事」の純粋性が保てる生き方。

『変身』を読み、すごいひとだとおもった。なみはずれた才能、その世界のオリジナリティ、そしてユーモアさえあった。
時あたかも実存主義がカフカをとりあげるとカフカブームがおこり、あまのじゃくな私としてはカフカからはなれていってしまった。

あるとき神保町の古書をあさっていたときに、欲しかったグスタフ・ヤノーホの『カフカとの対話』をみつけたときは持つ手がふるえるほどうれしかった。
そこには17才の少年グスタフに対する三十才ちょっとのカフカがいた。それは私をこころの底から魅了する人間像だった。
その後、『回想のなかのカフカ・・・37人の証言』を読み、ますますその人間性に魅せられた。

カフカについて、私はじつはなにも言えないと思いこんでいる。
こころの深い暗闇にとどき、よむたびにこころがしめつけられる。
わたしは実際なんにもわかっていないのかもしれない、と思う。

カフカはひとなみはずれた神経をもてあましていたが、身体は大きくて、丈夫だった。健康にも気を付けるひとだったが、官吏の仕事と執筆という無理をかさね、重度の不眠症に苦しみ、若くして喉頭結核になって、41才で亡くなった。そのように命をすりへらして書いた原稿の死後焼却を願うなど、それほどの絶望は私には理解しにくかった。

『カフカを読む』によれば、フランツ・カフカは、すでに著名だったマックス・ブロートに自分の原稿の死後の焼却を頼んだというが、だれがそんなことをひとに頼むだろう?律儀な友人の性格を把握して、いのちをすり減らして書いた原稿が陽の目を見ることを信じていたのではないか、と。

書かなければ生きてゆけなかった。だから人が読んでくれることは二の次だった。
書くことそのものに意味がある。

そうであるけれど、ただ焼却するために、人は書けない。書くという行為のなかに読んでもらうことが入っている。読んでもらって成就する。

カフカにしてもそうだったなら、一歩近づいてくれたような気がする。








JUGEMテーマ:日記・一般


calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>

言葉と出会う

My Kitchen

selected entries

categories

archives

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM