みなさんありがとう

  • 2007.12.26 Wednesday
  • 12:50
月と星



本をあまり読まなかったかわりに
さまざまなブログを読んだ一年でした
みんなそれぞれゆたかな人生があるんだなあ
ゆたかな幻想
ゆたかな錯誤
いいなあ
混沌として
ざわめいて

私も書いて、裸踊りかもしれないことをやってきた
そのままでは、わいせつ物陳列罪だよ。だから
きたなめのものはよーく煮込んで
おろかめのものはながく熟成させて
ものごとのよい面をとらえる訓練をしてきた

以前、『がん漂流』というブログがあって若くしてガンと闘い自分の苛酷な人生をドライブさせて死んでいった男がいた。
「おれのことをおぼえていてほしい」
そうさ、おぼえているよ
かれの叫びは私のこころにきざまれている
そう
そうなんだ

死んでいった父も母も兄も
もうあうこともないだろうひとたちも
すれちがう袖と袖さえも
みんなおぼえている
そんな、日々降り重なる層が(思いがけず)私をつくる素材になっている
(ふるびた<理想>なんてもんでできてはいなかった)

ひとはなんと社会的な生き物だろう
ひとりでは死ねない
ひとりでは生きることもできない

発信してくださるみなさん
そしてよんでくださる方々
ありがとう



ありがと。ごめんね

  • 2007.12.21 Friday
  • 08:14
maro
後にみえます布団は「牢名主」仕様



「健康なひとには、体が悪くてあきらめなくちゃあならないつらさなんてわかんないよ」
「でもみんなしぬんだよ、みんな。」
「みんなしぬにしてもそこまで健康か身体が悪いかはすごい差だよ」

健康であると思えた日々はいくらもなかった。ここ10年、あちこちうごきまわると、疲れて寝ていることが多くなっていた。
「畑仕事いちんちやると次の日寝ています。」と借りてる畑の地主さんに言ったら「えーっ!」と驚かれた。自分でもなんなんだろう?とふしぎだった。
いまもますますそうなので、やはりこれにはれっきとした理由があった。

進駐軍払い下げのベッドパッドを座敷に敷いて、そのうえに母はよくよこたわっていた。
母はちょっとそのへんにでかけても、玄関入ったとたん「疲れた」といってたおれこむので、だれも旅行などにつれてはいかなかった。57歳のとき意味なく検査入院したが、その気持ちがわかるようなきがする、いまの私には。
縁の薄かった母と、この病気でつながっている。

「このところよく疲れて。いちにち、ふつうに出かけると、次の日、その次の日は寝てる。掲示板で嚢胞腎の書き込みなんかみるとやはり疲れやすいらしいよ。はやく透析してほしいよ。」
「じゃあ、年末**に行くのはやめだ。」
「だから、それがくやしいのよ。できないことが。あきらめることがつらい。」
「もういいんじゃないか?じゅうぶんやったよ。」
「ず〜っと病弱。あなたに会ったころは喘息、なおったかなで嚢胞腎。病気は充分やったよ。なんだって健康が一番だよね。なんでもがんばれるじゃない。」
「じゅうぶんがんばったよ。」

「パソコンのブログや本なんか読んで疲れることもあるだろう、やめたほうがいいよ。」
「疲れて家にいて、なにすればいいの?そんなこと言わないで。」
「しょうがないよ。それなりに生きていくしかないよ。」

「うちは母がいつも疲れていて、暗かった。それがものすごくいやでしょうがなかった。私もそうなっちゃうのかって・・・」
「しょうがないよ。暗くてもイイじゃん。いつも明るいとパッパラパーで楽しいかもしれないけど、いつも暗くたって、時に花でもみてふっと微笑むなんてもっといいと思うよ。」


翌朝、なぜかこころはすっきりと。そうか、はなしをさせてくれたからだ。
話しをすることって偉大だ。聞いてくれるひとはもっと偉大だ。おかげで自分のしょぼい現実をうけとめることがなんとかできそうだ。
それもまた面白いかもしれない。






ため息

  • 2007.12.05 Wednesday
  • 12:46
ヒメツルソバ
ヒメツルソバ


吸う息 「あ〜あ、しょうがねえなあ〜」
とめる 「そんなもんかね〜」
吐く息 「やるしかねーなあ〜」
そんな(建設的な?)ため息つくことありませんか?


わたしの脳の欠陥一覧 その1

  • 2007.12.03 Monday
  • 21:45
フユイチゴとマロ
フユイチゴの紅葉


「あ!」と叫んでいま出てきた銀行に走って戻る。ATMで「お引き出し」した給料をもってくるのを忘れた。
脚がもつれそうになりながら走り、扉をあけると銀行の案内おねえさまが「うろたえてもどってくる人を待っていました、あなたでしたか」というカオをしてよってきた。一瞬天使にみえた。

通帳をひきぬきざまくるりと立ち去ったおばさんの次に並んでいたひと、ATMの札口が開いていてそこに現ナマがあって驚いたでしょう。

クレジットカードを持ったばかりで、通帳記入がもうひとつの目的だった。通帳をみてそのまま後も見ずに帰っちゃった。
はい。わたし同時に2つはだめなんです。
おいおい馬鹿なんだから、2つの用事をもっているとき、「2つ、これとこれ」とチャント意識するんだゾ。そろそろ落ち着こうよ。

おっちょこちょいのドジ子炸裂、おまけにボケ進行しました。

魂はここに

  • 2007.11.30 Friday
  • 09:24
クヌギ
クヌギ

心は脳にあるという唯脳論が潮流になっている。ある意味唯物論だ。
TVの番組でも脳の機能からほりおこして論がはられてゆく傾向です。

<脳が冴える15の習慣>築山 節という本を興味深く、わがボケ行く脳のために読んだ。

その本によると、たとえば、寝る前は論理を考えない、整理しなくていい。なぜなら眠る脳が働いてシナップスが接続し、朝にはあらたな論が出来ているという。

脳をいかに働かすか、その意識で人生をやっていこうという文脈が強くなっている

たかが50年でずいぶん世界はかわるものだ。社会主義が沈没するなんてまずは考えられなかったもの。唯心か唯物かなんて論議していたのに、いまは唯脳の方向だ。脳が精神生活の中枢なのだ。

じゃあ、・・・・魂はどこ?どこにあるの?
一寸の虫にも五分の魂というが、五分ってどのへん?

      もみじ

「*子さんがぐあいがわるいととてもさみしい」と言って、すこしおどけて御自分の胸にその手をそっとあてたひと。
人間の刻には、こんな煌めくあたたかいものが降ることもある。




いつかはできる

  • 2007.11.22 Thursday
  • 17:27
ビッグウォール
ニュージーランドのビッグウォール

風邪を引いて寝ていた。
高校のとき「風邪で休みます」って担任に電話すると「・・・・風邪?風邪で?」と怪訝な声がかえってきたものだ。 私は扁桃腺の切除手術を受けて以来、高熱はそうは出さなくなったが、風邪をひくと気管支までいってしまう。それで学校も会社もよく休んだ。
一年に二度ほどの行事だったが、ここ十年ほど ひかなくなった。
しかし、なにをたるませてしまったのか、引いてしまった。
以前なら、咳と痰がなおってからこんどは喘息が2,3ヶ月はつづくのだったが、今回は喘息はなかった。あーよかった!喜びのレベルが低いのう。

横になっていて、寝ている以外はぼーっと考えていたり、本を読んだり、TVをみたりしていた。

TVは元気者絶好調の世界で、脱力しているものにはうっとうしいだけだが、いいものがないかとついスイッチをいれてしまう。ごちゃごちゃと不快感ばかりなら消せばいいのに、あいてがドライブさせてくれるので、つい乗って身を任せてしまう。
ワイドショーがけっこう面白かった。モリヤというお猿さんが代議士センセイの名前を言ったり、ヤスハという肩の露な服を着た奥さんが「尊敬する」夫と離婚だと会見したり、ミタという綺麗なひとが息子のことをあやまっていた。
BSで世界最強のソロクライマー山野井泰史さんが妻の妙子さんとグリーンランドの未踏岸壁にチャレンジした時のドキュメンタリー映像<白夜の・・・>が面白かった。
泰史さんは数々の単独無酸素登攀、新ルート開拓に、植村直己冒険賞をもらっている。2002年、ギャチュン・カン北壁の登攀後、嵐と雪崩に巻き込まれ重度の凍傷で手足の指11本を切る。妙子さんはサポートで共にまきこまれ、18本失くしている。その痛みはやったひとでなければわからないといいながら、病院のベッドで包帯ぐるぐるまきでいい笑顔で笑っている。「生還したことのほうがうれしい」(山野井通信)。「いのちを賭けて遊んでいる」(泰史さん)と言って、二人でこどものような笑顔をみせる。


指のないハンデをまいにちの訓練と、柔軟性とバランスで克服して、グリーンランドの未踏峰ビッグウォール1300mを17日でよじのぼった。
私たちは、壁があれば巻き道をさがし、引き返すことをかんがえるのに、「岩壁に登ること、それ以外はどうでもいい」(妙子さん)と言う。

「なんにちもなんにちもできなくても、なやんでがんばっていればいつかはできることをぼくたちは知っている。」(泰史さん)
あ。そうだよね。私は地球の垂直岩の登攀ではないけれど。なんどもなんどもその繰り返しだもの、知っているよね。




JUGEMテーマ:日記・一般


ささやかな賛歌

  • 2007.10.26 Friday
  • 20:39
里芋


土のなかで眠っている里芋を掘り出し、水で洗うと、まっしろな肌が現われ、それはしっとりとした茶色の衣をまとっていて、ああ、うつくしいなあ、と思う。
香り高い生姜も、若草色の茎の根元はほんのり紅をさしていて、ほんとうにうつくしい。

こんなにうつくしいものをたべることができること、を思う。
畑から収穫し、水をかけて泥を落とし、そのうつくしさにめをみはるたびに
そのちいさな感動をひそかにむねにたたんでいる。


おすそわけで、てわたした里芋にも
きれいですね、おいしいですね
の言葉をいただけて。

友人は生姜を描いて送ってくれた。
“洗ったら、とても美しく描かずにいられなかった”
の言葉を添えて


私にはしあわせがひとつ多い
このささやかな美の共感をいただけるのだから


眼が覚める朝

  • 2007.10.24 Wednesday
  • 10:32
朝朝日

モーツァルトは35才で死んだが、「明日は生きているだろうかとおもわないで床についたことはありません。」と手紙に書いている。

どうして?と思う。だいたい明日も生きているとおもって就寝するでしょう?
18世紀は感染症でよくひとは亡くなった、からだろうか?
身体の具合がわるかったのだろうか?
でも、今日思う存分生きて、明日はわからない、という生き方こそ、まっとうのようなきがする。

それに、あさ眼が覚めるということは、あたりまえのことではない。
いつか眼の覚めない朝がくる。
といっても、もう本体はいないのだから、いいんだけれど。

今朝は深い所から浮かび上がったように眼が覚めた。
夢の中で「私」は死んでいるのか生きているのかはっきりしなくて、「私」は自分の前世と来世を比較していた。前世、来世というなら、すこし興味はあったが、夢の中で眼を凝らせば凝らすほどよくわからなくなった。






すべては灰(続き)

  • 2007.09.13 Thursday
  • 18:27
杉木立

すべては灰。そうかもしれない。

しかし、燃焼したこと、火の記憶、それでいいではないか。
灰以外、なにも残らないとしても。
それでいい。

むしろ、灰になってくれてよかったではないか。

前に住んでいた家が取り壊されたと風のたよりに知った。
いつまでもあって、見て、なつかしくはあるだろうが、一種胸がしめつけられるやるせなさがある。
それは、過去なのではなく、抜け殻としての現在だからだ。
なくなってくれて、よかった、というべきだろう。



  • 2007.09.08 Saturday
  • 18:10
台風一過
折れたネムノキ 


台風。ヤマではあまりにもいきいきと台風です。
どうどどっ、どどっ、野性まるだしで阻むものがない。
外にはでられない。
林が強風にもみくちゃにされて、家のなかでもものすごい音がする。

たたきつける風雨のなか、家のあかりのほうにちいさな虫やカエルなどがたくさんやってきてガラスにへばりついていたが、小鳥や虫たちはどうしているのだろう?どこかに身をひそめて、じっと過ぎ去るのをまっているのだろうな。

停電のときの準備をして、床に就く。

翌日はもうたいへん。ネムノキの太い枝が折れて、道をふさいでいた。
雨のたたきつける早朝、チェ−ンソーをもっておっちゃんがゆく。
「コブシの太い枝も折れて飛んで、斜面に挿し木になってた。」巨大スケール草月流。

家の窓ガラスにも、畑にも道にも、ちぎれた葉や枝がいっぱいで、その掃除は一日ではおわらない。

畑の養生をしていると、白い蝶が一匹、卵を産みつけにふわふわ飛んできた。

きょうは生き残った木々が鎮まり、そのあいだから朝日がのぼりました。





calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>

言葉と出会う

My Kitchen

selected entries

categories

archives

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM