よいお年を

  • 2009.12.31 Thursday
  • 19:55




空、海、大地、犬、あなた、わたし…

ますます、一体化して、みえてくるといいなあ

 

                   九十九里海岸の砂浜にて




お読みくださいまして、ありがとうございました。

また、どうなることか、わかりませんが、よろしくお願いいたします。









縁起でもない

  • 2009.12.22 Tuesday
  • 22:52
エゴノキ黄葉


 

ディスカッションしているときに、「死…」という言葉を口にしたとたん、

「縁起でもない!」とシャットアウトされたことがあって、古いことをいうなあとおもったことがあった。


現実は言葉に寄ってやってくるとでも?

 


今となれば、その人は不安から眼をそらしていきることが、努力目標だったわけで、

そのとき私は言ってはいけないことをいってしまった。


だが、そのひとと何年もつきあっているうちに、「死」についてはなすことができるようになった。その人は本を読む人だった。

 


若い頃から病気とつきあってきた私も友も、まず自身の死があって、そこから生きてきているので、考え方も話も、終点からはじまってくる。


しかし、元気まんまんのひとたちは、なにをいっているのかとおもわれるのか、だまってしまわれることが多い。


暗い話しはいやだろうな。

 


「縁起でも無い」というかんじはたしかにあった。


言葉に現実は拠ってやってくるような気もしないでもないが、私たちビョーニンはむしろ、口にすると遠ざかるんじゃあないの?なんて言っている。

 

 

私のブログ記事も、「縁起でも無い」かもしれなんあとおもうこともあり、読んでくださる元気なかたがたには辛気臭いはなしでもうしわけなく思う。

 

そのまんまワタシですが、あかるい話しもあるといいなあ。

 

 

 


ひと晩中はたらいておられるあるひとに、「ケンタロウの男子ごはん」でやっていた「ジューシーメンチカツ」をつくってお持ちした。

レシピのキャベツのかわりに白菜、ピーマンのかわりにセロリを刻んでまぜまぜ。


卵と粉と水のなんとか液につけてパン粉をまぶすのがポイント。汁をとじこめます。


と、その晩お電話


「おいしかったぁ!」


料理人の喜びがふんわり花ひらくとき。





 


死ぬ力

  • 2009.12.19 Saturday
  • 22:18
フユイチゴ




立花隆氏の著書はたいへん多いが、その中で私は「臨死体験」を読んだことがある。

 

死は、ただ物質が変化するとか、無に帰するとかではなく、なにかはっきりいえないが、なにか(霊的なもの?)あるという視点が興味深かった。

 

彼は一貫してなにが言いたいのかよくわからないところがあるが、「とにかくなんでも知りたい」というモンスターのようなひとだなあという印象をもった。

 

 


先日TVで、「生と死の謎に挑む」という、ガンについて彼が取材しているドキュメンタリーがあった。

 

彼も、膀胱ガンを摘出したが多発性であったため、再発の確率は高いという診断を受けている。再発したら、治癒はむずかしいといわれる。

 

世界中で多くの研究者がガンを研究し、何十兆円もの資金を使っても、撲滅することができないでいる。それはなぜか。

 

その理由をいくつか挙げていたが、ひとつには、生命が進化してきたことと密接につながっているということだ。

 

 

昔、法曹界の人が、がんに罹って、「ガンも身の内」といっていたことばが思い出される。そのころはまだ、ガンはエイリアンのように思われていた状況であったので、とても清新な、潔い言葉だなあと感じたものだ。

 

 

生体というのは、維持する、つなげる(増やす)こと、を目的として機能している現象としてみると、その相対的な反作用とでもいうのか、自己を破滅させるなにか(遺伝子)のようなものがあるのではないか。老化の遺伝子があるように。その理由はともかくとして、無いということは考えにくいとずっと感じていた。

生命体は、老化も死も、基本仕様としてふくんで、交代して行く。

 

ガン細胞と正常細胞とのちがい(定義)はわからないそうで、専門医の眼だけで判断されるそうだ。

 

ガンは生体の破滅すなわちガン自体の破滅に向って増殖する

それといかに戦うか。

 

 立花氏は、ガン学会での講演で「私は人生のクオリティーオブライフを犠牲にして治療をうけるつもりはありません」と言っていた。



ガンを完全に撲滅する方法はいまだ無いのだが、緩和ケアのほうは随分進歩している。

 

野の花診療所の徳永進さんにも取材をしていたが、彼は多くの死をみとってきた経験から、人には死ぬ力はあると。身体が死に近づくと、なにかそういう力がふしぎにでてくるんです、とおっしゃっていた。

 

ガンの緩和ケアをうけている人のしずかな顔が映される。その男の人は末期胃がんだそうだが、身体につけられた管はみあたらず、おだやかに笑っておられた。その撮影の翌日なくなったとのことだった。

 

 

 

 

わたしのかけがえのない友は、わたしより先に、あちらへいってしまった。

ガンだったが、スマートに彼らしく、見事だったと思う。

 

―とてもあなたらしく、いってしまったね

 

―あ、こうやって死ねるんですよ

 

…と、いたずらっぽくわらっているようだ

 

わたしも必ず行く道に、爽やかな勇気をおきみやげにおいていった

 

 


いま、Hさんは、「追悼」の窯を、夜通し焚いておられる。

 

「そっと来ていますよ」

まわりのひとたちもしずかにうなずく。

 

よく生きたということは、こんなことでもあるのだと、また、涙がにじむ。











 

 

 


先に逝ってしまった

  • 2009.12.04 Friday
  • 22:00




引っ越してきたときに、向う三軒両隣にご挨拶にいった、そのなかの一軒だった。

コナラの林のなかに、ハリギリのおおきな木があって、それに寄り添うように、ひろびろとしたデッキをもつ木の家があった。


セーターにマフラーを首にまいた主とおぼしきその人は、建築家の名刺をくださった。

そのとき、懸案の新しいゴミステーションを交渉してくださって、つくられたことを知った。

 


最初に、ゴミをだした朝、その方から電話があって、カラスにあさられてしまったゴミの持ち主をさがしておられた。

「私です。もうしわけありません。すぐまいります。」

ここでは、収拾車がくるまでゴミをみていないとカラスがすごいんですとおっしゃる。

 

私がチリトリと箒をもってかけつけると、彼もチリトリと箒をもってやってくる姿があった。

「ありがとうございます。ここは私が。私にやらせてください!」

越したばかりのかんたん食事の残骸―カップめんの容器ばかり

はずかりしいゴミがめちゃめちゃに散乱していた。

 

これが出会いといえば、こちらばかりが恥ずかしい出会いだった。

 

 

カラスの狼藉対策に、ゴミを持ってきた人のだれか一人は見張っているということになって、「私がみていますから(どうぞおまかせください)」と言うこともあった。

 

そのひとは、「じゃ」と短く言って、ゆったりと帰ってゆく。

 

何回目かに、いつものように「私が…。(見張っていますから、どうぞ)」というと、「そんなこといわないで。おはなししましょう」とおっしゃるのには、おどろいた。

 

「ぼくはね、<十牛図>が好きですね」

とおっしゃるのは、どうやら、私のブログの記事のことらしい。

 

いつも私になにかと紹介をしてくださっているHさんが、私のブログのことをその方に教えてくださったのだった。で、読んでくださったのだろう。

 

「ア〜、十牛図ですね。禅の世界ですね。私はさいごの第十図におどろいてしまったんですよ、入廛垂手(にってんすいしゅ)の、てん=村にはいってゆくということですね。隠遁してしまうのではなくて、民衆の中にということが、すごいとおもいました…」

そんなことを話して、はなしはあまりつづかずに

「では」とおしゃって、踵をかえしていった。その背中を私はみていた。

 

禅的な世界に関して、話を共有できたのは始めてだなあ。


 

その後、手作りセーターのはなしなどを、いつもほんのちょっとした。

 


また、春には私の軽トラが着くなり、窓に寄って、「桑の実のジャムつくったよ」と

うれしそうにおっしゃる。

「おいしかった?」

「それはおいしいよ!」などとタメ口をきくようになっていった。

私とその方は、じつは同い年、同級生。

しかも誕生月もおなじ 7月だった。

 

 

ゴミステーションではじまったささやかなトモダチ

そのご、会うたびに、二言三言、交わした言葉、

 

吹いてくる清らかな風は独特のものだった

 

純粋ななにかを、心の中に、折り目も美しく畳んでおられるようにおもえた

 

 

 

病が篤くなっても、嘆きの言葉は聞かなかった。

 

まったくかわらずに、しんとした静寂があった。

 


すこしお話ができたときに

「人間はみんな同じですよ」

とつぶやいておられましたね

 


魅力的なお友達を何人ものこして、

あなたは逝ってしまった。

 

あなたの設計した大きな窓から

楢の黄葉が散り始めて

 

からだに管一本とりつけないで

「相棒」にみとられながら

 

やすらかで

すこしほほえんだようなお顔

 

賛美歌がながれる

その空に、小鳥たちがさえずっていましたよ

 


あなたがいない朝があける

とても、さびしい

 





 


オリジナル疲れ人生

  • 2009.11.18 Wednesday
  • 21:28


                                                                                  ちいさな草の葉に朝露





疲れる―ということは、つねに私の行路につきまとっていた。


どんなに楽しかった記憶でも、疲れたという体感覚がかならず粘液のように纏わりついている。

「思い出」までも疲れているのは、なにか、かなしい。

 

今後は腎機能曲線が、なだれのように降下してゆくそうだから、疲れはどんどんおおきな顔をしてくるわけで。

  

 

尿毒症の症状が、いまのところその疲れと皮膚がキイロということくらいなので、感謝しなくてはならない。

ねむくて昏睡にちかい落ち方だが眠れる。眠れないというほうがつらい。

それがすすむと、頭痛、吐き気、そして知力減退という症状もあるという。

 

知力減退ってなんだろう?


そんなことと平行して、健康なひとよりも高い確率でホカの病もやってくる。

しかたありませんね。

ありのままの私なんです。

 

 

仕事、やりたいことなどが、たまってくる。

すこしでも、体調が回復すると、たまったものを、あれもこれもとやってしまって、またぶったおれる。

 

そういうサイクルを、なんどもあらためて―縮小してゆかねばならない。

やりたいこと、やらねばならぬことを「事業仕分け」してゆくことは、辛いなどとはいってられない。そうしなくてはならない。

 

しかし、削減したものをしげしげとみてみれば、それらは、ほとんどが「欲望」であって、切り捨てて行くたびに、風通しがよくなる。さびしいということでもあるが、やはりそこには静かなものがある。





 

 

 

今日までそして明日から

  • 2009.10.15 Thursday
  • 19:45

                                                                                              野菊



 

 

私の不得意科目である、不特定少数にむけて書いてみよう。

…と、このブログをはじめて三年半が経ちました。

で、やはり不得意科目であることは変わりないということが、わかりました。

 

つまり、論理的思考、分析的思考そのものができないのです。
起承転結くそくらえ。まとめるの苦手。プレゼン能力ゼロ。…そういえば、説明する、展開する、まとめる、訴えるといった形の文章を、学生時代も仕事でも書いたことがなかった。

 

こんな生半可なアタマでは、自分の経験したことから、そこで感じたこと考えたことなどを書き綴ることがせいいっぱいでした。

 

自分にとっては、できれば書くことで、もう一歩行きたい、あるいはそこを卒業したいとおもっておりました。そのことは、まあ自己満足ですが、ふしぎに、できたようにおもっております。

 

 

お読みいただく理由はなんでもかまいません。ただ、そこから、なんであれ、なにかを感じ取っていただけたら、書き手と読み手の間に、なんらかの「関係」が生じる。それは目にみえないものでありますがうれしいことでした。そのことが、書き続けた理由かもしれません。

 

 

なにか、自分本位な文章しかかけませんでしたし、なんのためにもならない文章です。

論理が整って、結論に到着する美しい文章を書いてみたいものでしたが、私には無理ということでしょう。

文章においてもハゲシクマイナー路線です。

 

私がこれほどまでに熱中して読んだ岡野先生の教えも、私の中での熟成を待ち、それを語るのに一年かかりました。

おもえば、学校の「読書感想文」ほど苦手なものはありませんでした。対応する脳がないのです。

 


これからどれくらいできるかわかりませんが、なにか、見えない糸をよすがに、みえないパワーをかんじながら、無理のない状態で続けてゆきたいとおもっております。

 

とりあえず、節目の御挨拶をもうしあげたくなりました。ありがとうございました。




 

 

そのままで一歩をだす

  • 2009.10.06 Tuesday
  • 19:54

                                                                     倒木には蔦とキノコ

 





昨日は、私は助手席で、ミシン遊びの布を買いに。ひさびさにでかける。いつも殺伐と感じる高速道路が、なにか新鮮だった。

幕張パーキングの上りで、オムライスを食べた。味が素朴で薄味。おいしかった。サツマアゲを買って帰る。

 

で、

やはり今日は疲れて寝ていた。夢の無い眠りからめざめるとまだ雨。

夕刻、小降りになったので、長靴をはいて外に出て、すこしあるいた。

 

 きょうも「10歩」

犬と

それを気づかせてくださったひととともに





 

 

ときどき心が斃れる

  • 2009.10.03 Saturday
  • 16:38

                                                                             夕映え



 

 

 

とても悲しい夢をみてめがさめる。

 

からだがだるい。いつもだるいようにだるい

 

よりそってくれているひとが、いつものように、いのちの輝きをみせてくれている

 

いっしょにやろう、いっしょにたべよう、いっしょにあそぼう!

いきるってこんなにおもしろいよ

 

だるい体

できないよ

できないんだ

ごめんね

 

いまおもえば、この遺伝を知らずにいたころから、よく疲れた。

無理をすると、喘息がおきた

 

どんなにそっちの明るい世界にゆきたかったことだろう

そして、諍いもそのせいだった

こんなことで諍ったことが哀しくて

いとしい子供たちにも、もっと笑顔をむけたかった

 

元気ならば、笑ってやってしまえることを、憂鬱な顔をして、くどくどと考えて…

 

 

…友人が、あと一度だけでいいからふたりで、とあたためていた旅

涸沢、ゆっくりならのぼれるかも

いや、新村橋まででもいい、徳沢園に泊まろう

上高地だけだっていいよね

 

じゃあ、上田の無言館ならどう?

どこへも一緒に行けなくなったということを、彼女は黙ってうけとめ、仲間と行く旅行の切符を買う。駅の駐車場で待っていた私はあの眠りに堕ちていた。

 

 

この体は私の生存与件

修行としていただいたもの

「安忍波羅蜜多」―岡野先生、<サングラハ>の文章で、はげまされました。ありがとうございます。

 




 

落花生

  • 2009.09.29 Tuesday
  • 19:01

                            器は、六地蔵窯の焼締陶

 



今朝、畑の落花生が掘り起こされておった。中身をほじった皮がのこっていた。

ハクビシンではないか?

どや、うまかったろう。

 

落花生。キュートな形。

 

塩茹で。畑から抜いて、洗って、そのまま鍋に投入。(畑の土から鍋までの時間が短いほうがおいしい)

 

塩茹では時期を逸してしまったので、あとは乾燥して煎って。つまむのもおいしい。




私に必要な謙虚さ

  • 2009.08.30 Sunday
  • 17:00



 

朝起きて、疲れている。疲れたまま、動く、働くということに慣れてきている。

 

鏡をみるとものすごくカオイロが悪く、そのこともいたしかたない、慣れた。

 

散歩とか、あるくことが、さらなる疲れをひきおこすので、せいぜい敷地内をあるく、そのこともまあ、歩けるだけいい。

 

どこかへ行きたいとかなにか食べたいとかの体験欲求的な願望は、しぶとくある。しかし、あきらめるしか道は無い。願望そのものを、生成しない方向に行けたらいい、と思う。

 

 

そんな状況でも、社会から退却したくはないというのがぎりぎりあるもので、人からのおさそいはできるかぎりお受けしたいとおもっている。あと疲れのため何日も寝るだろうが、一期一会こそ、人生ではないか。そこで学ばずどこで学ぶ。

 

 

健康ではなかったけれど無理がきいた若い頃、そのときは、行動そのものが人生の喜びであった。

それはもはや無くなったことはあきらかなのだから、自分の状況を受け入れることだね。

 

ベートーベンは聴覚をうばわれ、ルノアールは握力をうばわれる。

行動が喜びであった者からは、行動をとりあげる。

 

そんなフジョーリは人生の相であり、なにか意味があるにちがいない。

 

 

そんな中で、いちばんこころが泣くのは、人にたとえば必要な助けを、知っていながらしてあげることができないことだ。

 

人になにかをしてあげられる―そういうことは、とても幸福なことだと知った。

 

無償の行為といえども、みかえりというものをついもとめてしまうものだけれど、「すること」にすでにそれは含まれている。

 


まあしかし、「必要な助け」のほんの部分でも、できる範囲でしてあげることができる。それもできなければ、共に泣く…

 

私に必要なのは、その、謙虚さではないか?





 

 

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