憧れの縦走

  • 2009.10.07 Wednesday
  • 21:56




 

 

NHKTVで、北アルプス縦走を、田部井淳子さんと内多アナウンサーがチャレンジしていた。

見果てぬ夢の縦走を追体験させてもらった

 

若かった頃、喘息を起こし、道のはしで起座呼吸して鎮めながら、ほうほうの体でやっとのぼった山々。穂高連峰への岩は西穂山荘までだけれど、あの感じ―辛くてたいへんだけど、大自然のもろもろに出会えるよろこび―はわかる。


登山というのはまったくシンプルに人生なんだな

登ったり下ったり、頭ん中は、いろんなことが考えるともなく流れてゆく

肉体の長時間の単調な酷使が、いっしゅん頭をからっぽにする。

そして、大自然の雪が岩が、雲が風が、花が草が、こころを浄化する。

「無」に似た境地がやってくる。こんなすばらしいことはない。

 

もしうまれかわるならば、登山家―できれば、生活を知る、地に足がついた山野井妙子さんのような―がいいと、既に閻魔帳に登録してある。

どのみちこの世は濁世、人生は煉獄であるなら、うまれかわらないことをねがいたいものだが、そんなことを願える分際にあらず、もし再びの修行をいただくのなら、体がめっぽう丈夫で、苦難に立ち向かい、完全燃焼で人のお役にたちたい。

 


映像では、立山から、雲の平、槍ヶ岳先鋒に立って、穂高連峰のジャンダルムまで三週間で縦走していた。何回も地図でシュミレーションしていたコース。行けるはずはないのだが、それも楽しいものだった。


田部井さんの、力の抜けた
太極拳のような歩きをみていると、私も歩いてみたくなる。

槍からジャンダルムまでの大キレットは、見ているだけで足がじんじんした。どのみち高所恐怖症の私にはムリかも。

 

これを撮ったというカメラマンたちは、NHK富山の山岳カメラマンで、三人づつ三チームを組んでさまざまなアングルで撮ったそうだ。山野井夫妻のグリーンランドも撮っている。

このときも、大きな機材を使い、守り、担ぎながら仕事をしているひとたちのことが気になった。ただ登る人よりも。

 

 

私の今生の登山は?

 

登山というよりは洞窟探検
いけるところまで、一歩一歩、こころに汗をかきながら歩いてゆく


大キレット、落石もあるだろう

雨も

雪も

晴れた日も

花も咲いているだろう

オコジョも顔をだせ

空を映す池塘もあるだろう

 

めざす峰は、そろそろみえてきた。

 

 

 

★池塘(ちとう)について質問されましたので、 広辞苑をみてみましたら、「高原の池」とありました。
昔登った平標山(たいらっぴょう)の上には、池塘が多く、空を映して静まっていました。
そのふちに両手をついて、青い空に口をつけて水を飲んだけれど、お腹は大丈夫でした。
そのころは、往きも帰りもだれひとり会わず、会ったのは山小屋の管理人ひとりでした。

 

 

おいてけぼり

  • 2008.04.18 Friday
  • 20:37
gumi
グミの花

顱 秧眥召竜憶>は私も読みました。それによると、ギャチュンカンで、おふたりとも凍傷をおいながらも、生還できたんだけど、泰史さんは、凍傷をおい疲れきって胃液を吐いている奥さんを、「これが最後になるかもしれないと思い」スナップを撮っている。
彼はそのまま奥さんを置いて、先にベースキャンプ跡に着いている。フラッシュを浴びた奥さんはどんなきもちだっただろうと思うんですね。

髻,任呂匹Δ垢譴个茲ったのでしょうか?
奥さんを背負って、共倒れになるかもしれません。
彼はひとりでキャンプ跡地に到着し、シェルパにむかえにいかせてます。彼女は負ぶわれてキャンプに着いたようです。
山には山の掟があるのです。

顱,修譴砲靴討癲⊆命燭鮖るということがわかりませんね。

髻ー命燭砲弔い討榔さん自身がなにも言っていないようですし、べつのところでは、「かれは、子供なんです」といっています。

顱,修亮命燭鮑椶擦討られるのも、ワルギがないのですね。天真爛漫、ほんとうに子供なのかもしれません。奥さんがおっしゃるのだから本当でしょう。

髻,△譴世韻里海箸鬚劼箸蠅任覆靴箸欧燭劼箸、エゴが強くないわけがありません。だれよりも強靭なエゴをもっておられるでしょう。強烈なエゴは、自身に対しては、持続するモチベーションとなり、行動力となります。まわりのひとを気にしていたら進めるものも進めないこともあるでしょう。隣人にしてみれば自分勝手とおもわれることもあるでしょう。だから本人も「ソロ」にこだわるのかもしれません。

顱,修譴任發覆、すがすがしいですね。

髻,修譴呂れの生き方の風通しがいいからです。よけいなものがないのです。

顱,泙辰垢阿任垢諭おくさん思いですし。

髻,劼腓辰箸靴董△とうさん(たち)もそうじゃないんですか?おくさんをおいてけぼりにすることだってある。エゴの強力なのを持っている狩人ほど、いい獲物をもってくるんじゃないですか?


☆更新されました。

山野井通信
山野井泰史のデジカメ日記



山・・・美しいルート

  • 2008.03.19 Wednesday
  • 21:59
yamanoi 4
泰史さんの作品・・・・玉虫、おたまじゃくし、ジョーズ


またみつかった 何が?―――永遠というもの。    Å・ランボオ


山野井さんの本(「垂直の記憶」)を何度も読み、彼の言葉が書いてあるサイトにもたびたび訪れ、くりかえし読んだ。あらたなサイトも発見。【山野井泰史のデジカメ日記】(岳人)東京新聞WEBサイト

近年このような気持ちのよい文章には出会わなかった一度以上読みたくなる本も久しぶりだ。

また、グリーンランド登攀のTV映像(NHK「白夜の大岩壁を登る」)を飽きることなく、なんども観た。
最初は、泰史さん妙子さんの言葉や会話、在りようなど、ひととなりが見れて興味深かったのだが、なんども観るうちになんだか親しい友に逢うようなこころもちになったことだった。
私はどうも、おふたりに惚れたのではあるまいか。

泰史さんは、地上に降りた、いたずら好きの天使のようだ。素直な心で、その言葉はまっすぐですがすがしい。
妙子さんは、菩薩のようだと書く人がいらっしゃった。まこと慈愛にみちたこころで、その言葉は澄んでやわらかい。

同じ時間に生きられたことが、私はうれしい。

・・・10本(多分)の指を失うことはクライマーとしての生命をも失うことになるかもしれない大問題です。しかし私はギャチュンカンの中で私が持っている最大限の能力を出しきっ生きて帰れたので、くいはありません。むしろ喜びを感じてます。(山野井通信)

ギャチュンカンでクライマーの命である指を失っても、落ち込まず、生還できたことを喜んでおられた。「ほんとうは落ち込んだはずだ」などと、上へ上へと「手柄」を立てたがる俗人にはなかなか理解しがたいことだ。

いろいろ調べてきて、私は、泰史さんがよく「美しいルート」という言葉をお使いになることにきがついた。「美しいルートを描いて登りたい」というように。
描画でいえば、地上のうつくしいモノ、つまり自然をうつくしくなぞって描こうとする、それと似て、地球の美そのものである岩(自然)に、登攀者がはじめてのルートを描いてのぼってゆく。それにはまず無酸素の生身(自然にちかい自分)であることがおおきなファクターだと思う。そして、そのルートは美しくありたいというのは彼の気合であり、芸術であり、彼の生そのものであるのだろう。

そして、「美しいルート」は無限にある。
「美しいルート」はだれにでもある。
登山口にすら到達できない病弱の私にも、私なりの「美しいルート」がある。
あるはずだ。


…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地球への生身の挑戦
いきとしいけるものへのあたたかい愛情
限りある生への勇敢な情熱 


この言葉を、果てしないあこがれとともに山野井夫妻にささげたい。





 
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山での死

  • 2008.03.17 Monday
  • 18:00
小学校の六年のおわりごろ、都会的な雰囲気の男の子が転校してきた。しばらくすると、金色のトランペットを持ってきて、最初のうちは男子連中と吹いていたが、なぜかだれも寄りつかなくなって、トランペットももってこなくなってしまった。渋谷くんといった。

ある日曜日、私たちワルガキセットが町をちろちろうろついていたときに、渋谷くんを発見した。彼は床屋にすわらされてしろいおおきなケープをかけられて、はらりとながい絹のような髪の毛を切られていた。私たちはこどもっぽくからかったが、渋谷君はおおきな鏡の中で、照れることもせず、苦虫をかむような顔をちょっとすると完璧に無視した。私はものすごく恥ずかしかったのをおぼえている。
かっこよく、だれともなじまなかった。別世界にすむ雰囲気があった。こちらの世界を軽蔑しているようなかんじがあった。

私が19才のときに、新聞で渋谷くんの名前を見た。それは一の倉の岩壁で宙吊りになって死んでしまった19才の男の子の名前だった。あの渋谷くんかどうか確認したわけではないが、なぜか確信してしまった。
若いいのちは無念だっただろうか?本望だったのだろうか?

よく山で若い命が亡くなった。
とくに谷川岳に遭難が多く、「魔の山」とよばれ、土合の麓には慰霊碑が建っている。
たしかに、私が麓の小屋にいたころ、救助隊が編成され山に入っていったことも何度かあった。死体を背負子にすわらせて下山したときのオソロシイ話や、遭難してさ迷い歩くと、沢をフロだと幻覚し服をぬいで入ってしまったケース。雪解けの沢には収容できなかった遭難者の「部品」がながれてくるというはなしなど、耳にした。
「山で死んではいけない」といわれた。


僕は幼い時からほかの子供よりも死を意識していたかもしれない。
「人生はそんなに長くはないんだ。明日があるとも限らない」
そんなことを漠然と考えている少年だったように思う。だからこそ、なにかに情熱を傾けて生きていかなければいけないと考えていた。そしてクライミングに出会った。

成人になると、ますます「残りの人生を楽しまなければいけない」というきもちは強くなり、世間体を気にせず見栄も張らず、自分の本当にやりたいことを全力で追求しようと思うようになっていった。

・・・・・・・・・

登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、たぶん、僕だと思う。これは僕に許された最高の贅沢かもしれない。
僕だって長くいきていたい。友人と会話したり、映画を見たり、おいしいものを食べたりしたい。こうして平凡に生きていても幸せをかんじられるかもしれないが、しかし、いつかは満足できなくなるだろう。
ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。
                                             -----【垂直の記憶】
                                          


【講演会聴講メモ】「挑戦の軌跡」(2003年5月17日)日本教育会館にて





 
 

山・・・魂の半かけ

  • 2008.03.15 Saturday
  • 22:19
前掲の『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』では、たとえば、妙子さんの印象をこのように描写している。

「・・・女性でありながら、手足の指先をほとんどなくし、鼻をも落とすと事態とは、いったいどういうことなのか。切断面は醜く盛り上がり、床やテーブルに落ちている100円玉が自分ではつかめず、『あるべきものが、ない』という違和感が、見るものにどれほど嫌悪感をあたえるものなのか。・・・・・・・・酷なようだが、私なら自分可愛さが先立って、間違ってもそんな女性を伴侶にしたいとはおもわない。」(p194)

妙子さんがどうみえたのか、一般の眼鏡もってきてみるのもよいだろう。ルポライター氏が伴侶にしたくないとおもってもかまわない。しかしかりにそうであったなら、なぜ泰史さんが妙子さんに『何年振りかで女に惚れちまった』と言っていることを、こころで聞かないのだろう。

「山野井が長尾(妙子さん)に惚れたのは『哀れみからの同情』ではなく、『自分のことを気遣ってくれる』心根のやさしさに対してだったのではないだろうか。どんなに強がっても人間はひとりでは生きられない。・・・・」(ルポライター氏)などという、まあそうだろうけど、それ以上を書いてほしかった。

私にはどんなに山が好きなのか、御夫妻のレベルにとりつけるてがかりになる秘密がそこにあるとおもう。どうしてもっとよりそってみないのだろう。
自分はいいことばかりいうレポーターじゃない、「酷なようだが」ずばずばいってこその文体と勇んで書いておられるのだろうか。ずばずば言ったところで書いた本人の古臭い女性蔑視と想像力の欠如がわかっただけだ。

・・・・・『何年ぶりかで惚れちまった。俺が女に惚れたっておかしくはないだろう。彼女とならうまくやっていけるかもしれない。』『ずっと緊張した日々をおくっていたから、妙子の存在が安らぎに感じられた。』どこにもその外見にこだわっている泰史さんはいない。とてつもなく純粋な目をして伴侶を選んだ。同じ価値観の相手に対して、人は惚れ、安らぐのではないだろうか。

「(妙子さんのことを)僕はどこかで気にかけすぎ、守ってやろうという気持ちがおおきくなりすぎているようにおもえる。確かにいつもの集中力とはどこかがちがう。」(「垂直の記憶」P75)
10年ほど前の映像では、ひとりの孤独な目をしていたが、最近の映像では、「・・・・だよ、妙子」「妙子、たのむよ」「妙子」は接頭語・接尾語となり、もはや彼の存在に組み込んで不可分のように思える。
「それまではひとりで悶々としてたから、妙子とくらしはじめて、精神的に落ち着いたという実感がある。(中略)たとえ手足がダンゴだってかまわない。妙子のためだったら、いつだって喜んで死ねる。」(『ソロ』P199)
「クライマーとして、やはり頂に立つことが喜びですから」と何年も立っていない妙子さんにグリーンランドのビッグウォールの最終トップをゆずっている。

純粋な魂の半かけが、同じような純粋な半かけに出会って、「好きなこと」にたいして互いに成熟してゆく、そのように私にはみえる。


むかし、TVで桜井哲夫さんというおじいさんとわかい女性の交流を映していたことがあった。桜井さんはらいを患って隔離された場所でいきてきた。両手はなく、その顔は、ぎょっとしておもわず目を伏せたくなった。のっぺりと片目はなく、小さな穴に眼球がひとつ光っていて、鼻も穴があいているだけ。声もうしなっている。

桜井さんは詩を書く。女性は金正美さんという祖先が朝鮮半島のひとで、学生時代ボランティアで桜井さんと出会い、彼を慕ってやってくる。美しいひとだ。桜井さんの言葉を愛し、こころによりそう。
桜井さんは、自分たち日本人が朝鮮を侵略したことを痛む。

そこには依存などという未熟な関係ではない魂がふれあう関係があった。
(参考;http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/sakurai_tetuo.htm
表面にこだわっていてはけっして到達できないところだ。


 
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山・・・好きだから

  • 2008.03.13 Thursday
  • 16:39
yamanoi 2

アマゾンで『垂直の記憶 岩と雪の7章』を購入したところ、この本はありませんと返金された。
たまたまはじめて入った本屋にあったのでそれを買った。
『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』もアマゾンでみたら、中古だけ、しかもプレミアがついている。しかたなく倍の値段で購入した。
しかしまてよ、版元の山と渓谷社で売ってないかと調べたら、どちらも定価で売っていた。私はアマゾンに頼りすぎ。こんどは出版社にあたるべし。

『垂直の記憶 岩と雪の7章』山野井泰史著。
とても気持ちのよい素直な文章で、泰史さんがいかにシンプルにまっすぐに岩にいのちをかけているかがつたわってくるのだった。
「好きだから」ということはすごいことだ。

だいたいが自分の「好きなこと」がわからない。自分が好きなことはなにか?やりたいことはなにか?と暗中模索の日々であるのに、泰史さんは小学校五年のとき、その名も立岩先生という、彼を理解する担任にであった。「モンブランへの挽歌」という映画をみて啓示をうけ、好きなことがはっきりわかった。小学校の卒業文集に「無酸素でエベレストに登る」と書き、まよいはなかった。
小学校でじぶんが好きなことに確信がもてて、将来の目標を知るとは尋常ではない。

かりに好きなことがわかったとしても、世間の目やら気にし、なにより自分自身がこれでいいのか?などと自問自答して不協和音をもたらすものだ。なによりそのことひとつに人生を懸けて、ほかの欲望は切り捨てて行く根性が無い。そして時の流れが傍流に押しやってしまう。

好きなことにまっすぐすすめるということは、ほんとうに好きの純度が高いのだろう。
そして好きなことを実現してゆくことに、彼は極上の素直さも持っていた。


山岳ライターの書いた『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』のほうは、始めて見る写真が満載で、それらは山野井泰史提供とあったので、泰史さんが取材者に心をゆるしているなとおもい、期待した。

華麗な文体とでもいうのだろうか、自分に酔うようなオーバーなもののいい方が気になった。ライター氏も岩をヤル人で、なぜ山にのぼるのか?なぜソロなのか?と問い詰めていくがそれは彼自身の答えであっても泰史さんの真実に近づいたようにはおもえなかった。

しかし、ライター氏の長期密着取材により、写真と山野井夫妻の言葉が多く載っていたことにはとても満足した。

泰史さん妙子さんには空虚や不足をうめるように行為にはしるなどということがまったく感じられない。

なぜ登るのか?なぜソロなのか?私には「好きだから」という答えが聞こえてくる。
妙子さんがTVで、「好きだから。あとのことはどうでもいいんです。」(グリーンランドビッグウォール)とおっしゃっていたが、私のような凡人は「あとのこと」に未練たらたらで、結局一兎をも得ることのない人生をだらだらすごしてきた。「あとのこと」をかえりみない潔さがまぶしい。
ギャチュンカンで御夫妻ともに指を失くしても、生還できたことをよろこび、嘆くことなく、次をみている。それほどの「好き」がこわくもなる。

ただ、「好きなんです。」というおそろしくもさわやかな言葉。
「なぜ登るの?」「好きだから。」
私には十分の答えです。

好きなことに命を懸ける、こんな快感はない。
そこで死んだとしても、悔いはないないだろう。

できれば、だ。つきつめて先鋭的天上的になる男よりも、私は妙子さんのように手仕事の生活を丁寧にして、地上に生活を紡ぎながら、かつ好きな岩に取り付く、というのがいい。




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山・・・あこがれ

  • 2008.03.11 Tuesday
  • 18:23

山は不思議だ。魅せられてしまうなにかがある。

私の姉は74歳になるが、私とちがってどこも悪い所はない超元気者。
山が好きで、毎年富士山にはのぼるし、走って登るトレイルランニングもやっている(登山者のみなさま、ご迷惑をおかけします)。
いっしょに登っていた仲間も寄る年波でつきあえなくなり、いまはひとりで登っている。その体力作りのために週5日ジムに通って汗をながしている。妹が遠方からはるばる来るというのにトレーニングを休んだりはしません。

私も体力のゆるすぎりぎりまでやっていたが、もしできることなら、峰という峰にぐいぐいのぼりたかったし、春も夏も秋も冬も登りたかった。尾根も沢もやりたかった。(千葉の沢はおっちゃんと遡行したことはある)
山を登り続けていると、やはり、岩をやってみたくなる気持ちはわかる。

兄は岩のぼりが好きで、父の「遭難したらいくらかかるか知ってるのか」と言う声を背にしながらリュックを背負って出て行ったものだ。千葉に山用品の小さな店をだしていたが、最終的には菅平に山小屋を建て、スキークラブをつくりスキーだけをしていた。

また、憧れが嵩じると、だれものぼったことのない山、未踏ルートへと気持ちは飛んでゆく。それは自然の希求だと思う。できもしないのにその気持ちだけはわかる。山に憧れるこころだけははばたいてとどまることをしらない。

だれもがそんなことをできるわけではない。それなりの実現をしていければいいほうだ。
山に魅せられた私たちはけっきょくヤマらしきところに終の棲家をかまえるということができた。

50すぎまで山のやの字もしらなかった知人が、腰をいためてリハビリで低山をハイキングしていたが、じぶんとおなじ病身のひとたちにも山の魅力を味わうことができるように会をたちあげ、低山をさがし、下見をし、実行日には看護師も同行、警察にも届けをだし、そんな手間もめんどうくさがらずにやっていた。TVのディレクターをなりわいにしているかたわら、産経学園でハンデハイクの講師をしたり、「山と渓谷」誌にエッセイを投稿して掲載されたこともあった。
山はひとをとりこにする。

その知人も、姉も兄も私も昔から「山野井さん」の名をいうと、自然背筋がのびた。
究極、たったひとつしかないいのちを山に懸けるひと、山野井泰史さんは、ナマヤケの山好きの言葉を奪う。



 
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魅せられた魂

  • 2007.12.18 Tuesday
  • 07:12
<凍>を読む。
山野井泰史・妙子夫妻が2002年10月8日ネパール、ギャチュンカン(7952m)北壁にチャレンジした、そのときのことを中心に沢木耕太郎が再現した。
写真や用語解説、ルートなどのイラストが欲しかった。ドキュメンタリーでもなくフィクションでもないかんじで、どっちつかず。しかし、へたな感情移入などなく、アウトラインだけでもわかったので、よかった。

ヒマラヤなどの高山に登るには、シェルパが荷物をはこび、大勢の人によるサポートでベースキャンプを設営し、そこから酸素ボンベを担いで登頂するのを「極地法」といい、一方、酸素は使わず、最少の人数でのぼってゆく「アルペンスタイル」があり、山野井夫妻はそれで今回の岩も登った。

氷壁の登り。酸素をつかわないので薄い酸素にからだをならしてゆく、そのことを順化というが妙子さんはそれがうまくいかず体調最悪、登頂をあきらめ、泰史さんが頂をきわめた。その下山途中に雪崩が襲った。雪はあるけれど溶かす燃料がきれて水も飲めず。ようよう降りてきた泰史さんが妙子さんに「心臓が止まる。背中をたたいてくれ!」。垂直の氷壁にロープ二本のぶーらんこでビバーク。何度も雪崩がやってきて、泰史さんは衝撃で目がみえなくなる。「ハーケンを打つため手袋を脱いで、指で岩の割れ目をさがすんです、最初は左手の小指、つぎは右手の小指で、そして左手の薬指・・・・」(BSの番組「白夜の・・・」)
泰史さんは両手の小指薬指、右足の指すべて。妙子さんはすでに両手の指は無いにひとしかったが、なおも短くなってしまった。
「指を失ったことよりも、そこからかえってこられたことがうれしい」と泰史さんはベッドから友人に手紙を出す。(山野井通信)

TVなどでみる泰史さんは目がきらきらしてとても純粋な人にみえる。妙子さんへのおおきな愛情はもとより、昆虫や飼っている亀やちかくの養豚場の豚など、いきとしいけるものへの愛情にあふれている。なにより地球の垂直の岩へのとてつもない愛情が私には伝わってくる。ピークハンターなどではない。「征服」じゃない。愛しているなあ、と思う。だからこそ、ひとりであるいは同志と、生身で(無酸素で)とりついて体全体で登っていきたい。
そんな大自然への生身のとりつきは、いのちをかければかけるほど豪勢な生をあじわえる。魅せられた魂には、指の十本や二十本、悔いはないのだろう。



 

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