一生懸命

  • 2016.11.19 Saturday
  • 22:51

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ETVで、ギリヤーク尼崎の85歳になった姿が放映されていた。

新宿などで大道芸をしていたむかしは、なにかいかがわしいかんじがして、若かった私は「反則だ」とおもっていた。

現在、年老いて病もありながら、いまもなお大道芸をして「おひねり」で生活しているとほこらしげに言っていた。

「反則」どころか、純粋さというものはこういうもの、たぶん自然の土にまろげた動物のようなものに宿る。

それはいかがわしくもあると、歳をとったなりにわかる。

 

眼はうそをつかない。

一生懸命。

私は、病がこのように進行し死んでゆくものならばそれを生きるしかなく、できれば早いほうがいいと。こころが折れることもある。

ギリヤーク尼崎は、年老いて障害もでてきて痛いたしかったが、まなざしは純粋で、神々しかった。なぜならば一生懸命なのだった。

自分も、死ぬまで一生懸命生きよう。どんなに「ぶざま」であっても。いや「ぶざま」などはない。「ぶざま」などというのは彼を反則だとおもったのとおなじ評価基準ではないか。

彼には面倒を見る弟さんがいて、こころをこめて世話をしている。兄と話をしていて兄に、「そんなことはやったことがない者の言い草なの」といわれ、「ごめん」といえる人だ。

神様は、与えてくださる。「生きよ」というなにものかを。

それは恩寵のように。

 

痛みと老化

  • 2014.03.30 Sunday
  • 22:04
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「覚悟をしてきてください」と歯科医が言った。
歯を抜かなければならなくなって。なんといっても歯がなくなることほど老化をかんじることは無い。
私の場合、歯槽膿漏ではなく酷使に歯がつぎつぎとだめになる。「歯をくいしばるくせ」をいわれ、そう言われれば、けっこう食いしばっている。
今回の1本は、ぐらぐらして痛い。歯の寿命がおわるのだから、しかたがない。ありのまま無くなる。いいもわるいもない。
しかし、抜歯そのものに、なにか厭悪感というのか恐怖感にちかいものがひたひたとやってくる。
これが思考なんではないか。過去の恐怖感をひっぱりだしてあおりたてる。
それを数回湧くたびに意識しただけで、幻の恐怖感はなくなったが。
 
私は小学校のときに乳歯をたくさん抜いたし(そのころの矯正は抜いた)親知らずも永久歯も抜いてきて、麻酔が効いてほとんどいたくなかったのだが、10年ほど前にいちどこういうことがあった。
――痛かったら挙げろという左手を必死で挙げたが、けっきょく痛いも省みられずに、歯科医はこうなったら抜くしかないのだとばかりに続行させられた、ということがあった。汗びっしょり。心臓バクバク。麻酔の打ち方がわるかったのだとおもい、その爐笋岼綣“には二度と行かなかった。
今回、医師は、「麻酔は化膿した組織には効きにくいので、痛かったらけっして我慢なさらないでください」
そうか!あの痛かったのは、化膿した歯だったんだ、けっして医師がへた、どうこうでは無かったんだ。わかったなあ!
 
そして、今回、化膿していた。痛かった。その痛みというものを意識してみた。「我慢」ではなく、その痛みありのままを意識するということをやってみた。
痛みも恐怖をともなわなければただの痛みにすぎない。
 
若いころから老化していたので、65をすぎるとめらめらと老化がやってくる。
さる友人はアンチエイジングに熱心で、私にまでこうせいああせいといってくるが、私は自然でいいよ。
別の遺伝病をかかえた友人と「こんな老化するまで生きられているんだ!」とワクワクする。

 
それでもときおり、「いやだなあ」という思いが襲うが、若いころ、父が老人を「あんなふうになるんだろうか?いやだなあ!」と言っていたのに連動し、私も老化に対し「いやだなあ」と嫌悪していたことが思い出される。わたしはそうはならないぞと。
その「いやだなあ」とおもったこと=老化が自分に起き始めて、「いやだなあ」と自分にむけておもう。
まて。そうおもっていたことをみなおす時期だ。自分もそうなることでそこを受け止める。
ほんとうはいやではない。いやもなにもない。事実。
歳をとってわかわかしいのはよろこばしいが、順調に老化しているのは天理にあっていていいものだとおもうようにしている。
 

親愛というもの

  • 2012.05.14 Monday
  • 23:23
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自分の人生にしても、世の中にしても、人に対しても、こうあるべきの理想がまず目の前にたちあがっていて、けっか自分の、世の中の、人のありのままに対して否定の剣をふりまわしていないか?

 

長い友についていえば、私の理想としていた友情というのがまずあって、それに合致しているからと、比較計量してつきまとってきた、―事実にしっかり眼をとじて。


何十年もたって、否応無く事実がわかってきて、傷つくこともあったが、その古びた理想というものをエンヤラヤと取り外せば、
役に立つとか依存するとか益になるとか、よい友情とか、そんなものでないなにかが、ひっそりとあった。

そこにはありのままの友がいて、伴侶についで30年もつきあってきて、なにか言葉にならない人間と人間の関係のオリのようなものものがそこに生成していた。

親愛という言葉をあてはめてみる。


親愛―時間で熟成されるフシギな味わい。滋味。


親愛に、モーツァルト<クラリネット五重奏曲>を、ささげたい。



 

輪廻転生

  • 2012.05.10 Thursday
  • 22:48
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輪廻転生というものがあるともないともKは言っていない。
無いものは無いというので、無いということではないだろう。

 

死後のことはさまざまなことがいわれるが、物質で分解してちらばって終わりというふうになんとなく学んだが、最近ではそれをいうひとはみあたらなくなった。

 

霊的なものはあり、それはエネルギーをもっていて、死後どうなるのかはわからないが、無くなるのではない、と思われる。
だいたい、こんな人をおもいやる心のエネルギーが、慈愛の想いが、ただの無になってしまうと考えられますか?

 

私は、この世の生は生き抜く意味があることを信じられるようになったので、そこをこえられなかった霊的なエネルギーはどうなるのだろう?とおもう。
永遠に漂い彷徨い、再びこの世にいかされる―輪廻転生―のだろうか?

生かされるということは、なにか使命といったものがあるんだろうな。

 

霊的ななにものか、それを『時間の終焉』のなかで、Kは「ground」(「基底」と翻訳)と呼び、けっしてはっきり表現しないが、あることは言っている。
霊的なことをはっきり言うと、人間がどういうアカン思い込み及び行動をとってしまうか歴史が証明しているので、そのへんは、慎重にせねばならない、と思う。

 

ツイッターでフォローしている人が、「地球が、地球がおわったら宇宙が、そこに生きていた人間のことをどこかで記憶しているはずだ」というのがあった。なんかいいなあ。

 

 

病気が執着をはがした。―私の場合

  • 2011.11.04 Friday
  • 22:58
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病気の進行にともなって、おもうように行動できなくなっているし、食の制限もあり、いたしかたなく欲望をしゅくしょうせざるを得なくなっていて、ものごとへの執着もするだけつらいということで、自然にはがれていった。
仮に健康体だったら、できなかった。

病身であるということを祝いたくなってきた。

 

はっきり、「楽しむために生まれてきた」と思っていたし、自分オヨビその他を楽しませてやりたかった。

「持つ」ということ―預金通帳やコレクションなど―はあまり興味はなかったのだが、「経験する」ということに飽くなき欲望があった。

それをかなえてやる脳のシステムは、かなり強力で、それにエネルギーを注ぎこみ、みをまかせてつねに行動してきた。

そういう“自由な”自分がすきだったし、そうやってできることに傲慢な誇りさえもっていた。

そのこと自体後悔はないし、じゅうぶんやって満足だった。俗人だからね。

K
によれば、そんなのは「自由」ではない。自分に囚われているのだ。


それはもう、私においておわりだ。なぜなら十分やったし、それが一種暴力でもあり、「苦」の源でもあることがわかったからだ。

 

その「欲望―自分のためにかなえてやる」というパターン―あの心躍る感覚。
そのような欲望をかなえたところで果たして喜びはあっただろうか?
思ったほどえられなかったのではないだろうか?
得られたのは予想を下回る貧弱な快楽、それゆえ「また!」「もっと!」と次につながってゆく。


どんなことでもものでも執着すればすなわち苦しみではないでしょうか?

 

卑小な欲望、貧弱な快楽のために、エネルギーを浪費してきてしまった。

それを知るためにこんな果てまでやってきてしまった。
このように、地上の泥にまみれながら、這い上がってきた、そんな一期の縁だった。

 

そこから超えることをしなければ何の意味もない。








その現実を生きることから

  • 2011.07.31 Sunday
  • 22:46
 オカトラノオ


人間はエゴのかたまりであり、その人間のつくったこの社会はとんでもない代物だ。(と思う)。
人は泣きながら産まれてきて、エゴで右往左往葛藤しバランスを崩しては鬱になり、苦しみながら死ぬ。(と思う)。
この場合、生とは、なにか?

生とは、その現実を生きるということ。
ただそれ。評価はむなしく、結果などは天のみぞ知る。

 

被災する…家も住所も、家族も無くなって、避難所でくらす…うごける人たち、支援の人人は「頑張ろう」といい、政府は『復興』をめざす。
しかし、個人は、まずその日ご飯が食べられ、眠るところがあれば、また陽は昇る。
まずは現実を肯定し、その日常のなかでちいさな幸いをみつけ、可能なかぎりの「よりよき…-」を試行錯誤してゆくだろう。
「復興しなければ!」と「がんばろう」に不自然さをかんじてしまうのは私だけだろうか。

 

戦後、私たちの父母ががんばって焼け野原から復興し、その後の世代がそれを継いで高度成長経済を達成し大国にせまってきたが、いったいそれで人人は幸せになったのだろうか?
自然を破壊し、公害が蔓延し、寧ろ人間性をないがしろにしてきたのではないか。
学生や労組がデモをさかんにしていたが、どんどん人間性をないがしろにしてゆく社会にNO!を言った部分もあると思う。

 

復興といって急ぎ、また、経済優先で自然破壊をし、差別という人間軽視をしてゆく方向でなく、自然と自然の一部である人間が、持続可能な緑の地球で人間として、生物として、地球上の一員として生きてゆけるような、せめて、そのような社会を実現したい。

 


むかし、中国大陸で見た光景を父は語ってくれた。広大な大地に、朝早く男がひとり井戸から水をくんで、ひしゃくで一杯一杯、樋に流している。
畑はひろく、水はかわいた土にすいこまれる、いつになったら全部に水をまくことができるのか、そうこうしているうちに地平線のむこうに日が沈む。
そして次の日も…また次の日も…。

 

シーシュポスの神話のような話。転がる大石を山頂に担ぎ上げ、また転がりおちる石を担ぎ上げる男は、その行為を評価し結果をかんがえたら辛いことだろう。

その反復行為自体になんの意味も無かったとしても、ときには足元の草が匂い、花が咲き、鳥がさえずり、風が吹きぬける。
その行為と自分の現実を肯定すれば、苦行では無くなるだろう。


まずは、どんな現実でも、それを肯定するところから、私は始めたい。

どんな自分でも肯定するところからはじめるように。






現在を失っているかもしれない

  • 2011.03.05 Saturday
  • 21:59
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私たちは夢や理想、「あるべき自分」像を持ち、つねに「いまここの自分」に満足をしてはいけないと、もっともっと、と考えている。

同時に、過去を振り返って反省をかまし、蓄積されたデータをもとに、先へ先へとものごとを考えていくように教育されてきた。

「反省して、つぎになにをするか考えて行動しなさい」

そして現在がない。

 

欲求やら反省やら、葛藤するソフトがインストールされている脳で、「さっきどうだった」とか「つぎになにをする」とかの考えでいっぱいになっていて、そうやって、いつも現在というものを失っているかもしれない

だから、「あるがまま」といわれてもおいそれとはみつからない。

 

こうやって常に脳は現在以外のことでいっぱいになってしまうことに、なにかてだてはないものか。

 

そのことのひとつの方法として、「わたしはいま、なになにをしていて、なにをみていて何を聴いているか?」とじぶんに目を向けてみること(方法)が、どこかに書かれてありましたので、現在というものの目を向けてみました。

 

ルーティンワーク…という言い方もおかしいのですが、まいどのしごと…たとえばお茶碗洗いを「見て」みれば、水の流れ、はじける水滴の美しさがかがやきをもってとびこんできます。水にぬれる器も、手も生きて動く美しさがあり、それに圧倒される。

たしかにその注視をしてみると、現在とは完璧に美にあふれていることを目撃するばかりになる。

しかし、まだ一瞬しか注視ができない。

 

気をつけるのは「集中しよう」「注視しなくては」とか考えてはまた、思考のなかにはいってしまうことだ。

「…のために…しよう」というのはエゴのだいすきなパターンだからね。

 

まず、とりあえずは、目の前の生活のそのままを「とるにたらない」などと評価しないこと、めんどうくさがらないこと。ていねいに生活する。

幸福があるとすれば青い鳥のようにそこ(現在あるがまま)にあって、脳が志向する「味わうべき体験(楽しみ)」などないのですから。

 

しかしそうはいっても、「なるべき自分」は、しっかり教育されてきましたし、社会自体の価値観も「もっと上」ですから、あるがままにとどまるのはたいそうむずかしいことではあります。

 

エゴを中心とした思考のあれこれではなく、生のその瞬間瞬間こそ、無尽蔵の光(エネルギー・愛)にみちあふれているのですが。




 

病人のエゴ

  • 2011.02.01 Tuesday
  • 18:06
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トレヤの闘病も大変なことでしたが、新婚10日目にして妻のガン宣告をうけたウィルバー自身の大変さも記されていました。

 

愛が大きければ、そのぶん苦しみもまた巨大なものになる。

ぼくたちの愛はとてつもなく大きかったから、苦痛もそれにつりあうだけ大きかったわけだ。

その苦しみは忿懣を培い、怒りと辛辣さと非難を育んだ。

グレース&グリット」

 

食事つくりなどの介護で、執筆の仕事はできず、神経症になり、喧嘩ばかりになり、酒におぼれるようになります。

 

なぜなら、いつも切り札をもっているのはトレヤだったからだ。

「だってわたしはガンなのよ」というのがそれだ。

―同上

 

介護されるほうは、病の苦しみの中にあると、その不安や怒りなどに比例してますます自己中心になってゆき、「だって私は病気なのよ」というのは、将軍様の印籠のようでもあり、ひとつの暴力でもあるなあと思いました。

 

だれだって相手がたいへんな状況のとき、こちら側の事情とか気持ちなどは、いちおう仕舞っておきます。

しかしそれが共に暮らすひとともなれば、毎日ですし、もともとが半身のような存在です。

ましてや新婚10日目からの闘病とは、なんとおおきな試練を与えられたことでしょう。

ウィルバー自身は、このことで、自己中心(エゴ)を超克する「チャンス」だった、というようなことをいっていたようです。

 

病人(自分)のほうは、周囲の気持ちというものにはなかなか気がつかず配慮しがたいのですが、そんなところからも、「自分(病人)のほうのエゴ」をみてゆきたいと思いました。

 

 

…要するにぼくたちは、この最後の途方もない数ヶ月、互いを生かし、互いの先生となって教え合っていたのだ。

ぼくのたえまないトレヤへの奉仕は、ほとんど圧倒されるほどの大きな感謝と優しい気持ちを彼女の中に生み出し、それにたいして彼女がぼくに返してくれた愛が、ぼくの存在を深くみたしはじめていたのだ。

ぼくはトレヤのおかげで、実に充足していた。それはまるで、ぼくたちがずっと学んできた光明に満ちた慈悲を、互いの中にみいだしたかのようだった。…

―「グレース&グリット」下巻P344





父の変化

  • 2011.01.30 Sunday
  • 23:11



前の記事の「グレース&グリット」を読み終わって、トレヤの死に、私の父が死んだ晩のことをかさねてみました。

 

姉も義姉も、そして私も、死に近い父の顔が「すっと仏様のようになった」のを目撃しおどろきました。また、なくなった晩は台風の嵐がふきあれていました。それはたたぐうぜんだとおもっていましたが、そこにはなにかがあったかもしれません。

 

父は、どんなこけおどしの権威のかけらさえもたぬ男だったし威張っている人が嫌いでした。ばかな言動にはことかかなかったゆえに、子供に対しても「母は立派、父は馬鹿」といった、そんなスタイルが定着していましたから。

(そう決め込んでしまうと、なかなか訂正しないものですが、固定した視点は、それも真実を覆い隠すものだったかもしれません。私たちは―特に子供は、なにもみていなかったのだなあとおもいました。)

 

そんな父が変わったと思わされたのは、私が出奔してから、伴侶とともに父の一人住まいのちかくの借家に住んだころでした。なにが、とはいいがたかったのですが、なにか別人のように変わった―穏やかな愛のなかの静かさがある―と感じました。そのときの年齢は70くらいでしたから、その年齢で変わるということがすごいとおもったものでした。

苦しみや悲しみの大きいひとでしたから、ひとりでそこを越えたのかもしれません。

 

父には、その葬式で子供たちをならべて泣かしていた親友がいて、いったい私たちのだれがそんな友を持てただろう。「友ダチと『ばかやろう』と言い合えるのはしあわせだよ!」とよく言っていました。あの世でふたりでわらってるかもしれません。

 

「親を選んでうまれてくる」といいますが、そうかもしれません。



重要な唯一の事柄は、次の問いである。人は、心理的過程、あるいはエゴの死を、たった今、自分が生きているうちに体験できるだろうか?言い換えれば、私の「自分」は、私が死ぬ前に死ねるだろうか?たしかに、われわれの人生は、肉体的な死に先立って心理的な死が起こらないかぎり、無駄に生きられることだろう。人生において、自我の解消とともに自然に開花する純粋な英知と限りない慈悲心の、あの無際限の次元を発見すること以上に悦ばしいことはない。

――p80「気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える」ススナガ・ウェーラペルマ




 

 

情熱的な無執着

  • 2011.01.28 Friday
  • 23:06
kw_tra2.jpgタホーでの困難な時期の直前。1985年春。

 

アメリカの現代思想家でトランスパーソナル思想を主導したのちインテグラル思想を提唱している哲学者ケン・ウィルバーと、トレヤという女性が運命的な出会いをして、結婚10日にして乳がんを発見、そして亡くなるまでのことが書かれてありました。

 

外科(切除)、化学療法(抗がん剤)、その他、民間療法(酵素の大量摂取、コーヒー浣腸、など)をとてもたくさんするさまが書かれているのに圧倒されました。

 

瞑想を積み、死を受け入れながらも、情熱的ともいえるほどさまざまな「闘病」をするのですが、反面無執着で、なまなかなひとではないと感じました。瞑想を主に、「超える」ことをみているのです。「明け渡す」ことをみているのです。

 

瞑想リトリートをするトレヤの日記から

 

五日目、わたしはほとんど完璧に手放せるようになり、なにが現れようと、ただそれを見守っていられるようになった。
裁くことなく、駆け引きすることもなしに。
何だって来るものは来るし、起こることは起こる。
過去の体験を繰り返そうとするかすかな欲望をめぐらすこともなく、何かあたらしいものを願うこともなしに。
わたしはふたたび、ただ座って、今ある瞬間をひたすら見つめるということの自由を見いだした。
ただあるがままでいて、あるべき状態などとは無縁でいる。
瞑想にある種のリズムが出来てきた。
闘うのではなく、ただそれとともにある感覚だ。感情と思考も依然あったが、わたしはそれに気づいていて、とらわれていないし、それにながされることもない――ようやくわたしは一歩下がってただ見守るということを体得するようになった。


――p168グレース&グリット(
Grace and Grit愛と魂の記憶 ケン・ウィルバー 伊東宏太郎訳

 


5年の闘病ののち、41才のトレヤが、もはやこれまでと、死にむかってゆくさまは、とてもめをみはるものでした。

朦朧として死に臨みたくないと、モルヒネも睡眠薬も最小限しか摂取しなかった。

 


「それならわたし、行くわ。すごいわ。とっても幸せなの。この人生はおもっていたより、ずっとつらかった。今まで、とてもつらかった。ねえあなた、本当につらかったの」

「わかってるよ、トレヤ。わかっているとも」

「でも、もう行ってもいいのね。とても幸福よ。あなたを愛しているわ。とても幸福」

 


外では嵐が吹き荒れ、「偉大な魂が死ぬとき、風が強く吹きすさぶ」いにしえの言葉どおりだった。

「ありがとう」という言葉を最後に彼岸にいってしまうのですが、その死に顔にウィルバーは驚きます。

口をあいたまま死後硬直でなかなか閉めることができないでいたが、


「それから四五分後、また部屋にみんなで戻ってみると、驚くべき光景に出くわした。トレヤが口を閉じていて、しかもその顔には、素晴らしい笑顔、完全な満足と平和、充足感と解放感にあふれた笑顔が現れていたのだ。(中略)「トレヤ、みてごらん。ほら、自分の顔を見てごらん!」

                                    ――同上

 

 
死ぬということは、何よりも人間的な事柄です。だからすべての人間は滅びるのです

 

グレース&グリットGrace and Gritとは、

「大切なのはグレース(恩寵)と、そうグリット(勇気)」とトレヤが言った言葉からきています。





 


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