騙された責任

  • 2012.03.31 Saturday
  • 23:10
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今度の津波で、無残すぎる死の2万人強に対して、神も仏もないという言葉はめにしない。

それは自然の怒りでもなく、自然そのものだということをみんな知っているからだろうか。

自然のまえでは人間などひとたまりもない。

そういう自然のなかに生き残り生き延びてきた。

特に日本列島は自然災害の巣だ。

 

しかし、原発は人災いがいのなにものでもない。

支配層が政治を繰り、財界がのっかって、財界の頭脳―学会が理論、産業界が作り上げ、財界の広報機関であるマスコミが追従し、国民を騙した。安全です!と。

 

 

 

石器時代の狩猟採集から縄文時代あたりまでは、強力な支配者がいなかったようなので、では、なぜ「支配」ということが始まったのか?疑問をもってしらべたことがある。

 

『一万年の旅路』などを読むと、人類は、その存続のために道具を工夫し、知恵を働かせて進化してきたことがわかる。『旅路』の集団は知恵の代表として「雪の頭」(白髪)とよばれる女性が思想的リーダーだった。みんなで決めて行動するのだが、なにか困ったことなどあると相談している。

 

また、NHKのヒューマンナントカ(忘れた)によると、

人類が定住し集団で暮らしはじめると、集団に都合のわるい人間は処刑される。(という壁画が発見されている)

周辺の他集団に対しては、防御または攻撃をする集団もあった。

 

一方、栽培の開始から食が安定し始め、ものの交換から貨幣へと飛躍した。

そこに貧富が生ずる。

 

分離が生じ、差別が生じる。

そうやって富というものが独占されうるようになってゆくと、知恵のある者や戦力のある者、また富をほしがる者など、「それに優れた」人が富や権力を掌握してゆき、すなわち支配層となる。

現在はその続きだ。

 

「すぐれた」リーダーは、集団でうごく民には必要だ。

それはなかなかいないし、いても制度の歯車に噛み合うとはかぎらない。

民主主義の制度で選ばれた代理人は、力がないか、既存の力に繰り込まれてゆくようだ。

資本主義唯金主義ともいう世界では、力というもの―たとえば原子力ムラ―は隠れていてみずからの力の増幅と安泰をもとめてふくらんでゆく。

(かつて、毛沢東が革命を遂行し、権力をにぎったとたん堕落したということがショックだった。人間はそうなるものだということの見本。)

 

支配層が民をだまして、原発をつくった。核兵器を準備した。

真珠湾攻撃、原爆投下、東京大空襲、みんな事前に知っていた人が居たという。

支配は民を見殺しにする。

今回も被曝させ、被曝をごまかして、民をみごろしにしている。

日本の支配層はアメリカのポチだという人もいる。

 

支配系が、最終的にはわが身の安泰とエゴの行使のために暗躍し、勝手に金まみれになっているが、私たち庶民の生活はそれにもかかわらずたくましくある…とおもっていたが、しかしなんと、あろうことか、原発が爆発して、多くの人人が被曝し、しつづけなければならなくなった。

現在、収束どころか4号機の使用済み核燃料が地震で揺らされ壊れたらその噴出してくる放射能は膨大で、「おしまいです」といわれる。

廃棄物にかんしては無毒化に100万年かかるとのことで、これは地球にたいする大罪を犯しているのだ。

 

その大罪は、原発の怪しさに眼を背けていた私たちにも存在する。

小出さんによれば、「騙されていた罪」ということ。

 

小出さんは、つねに言う、騙された責任を。

私は原子力発電のうさんくささは感じていた。

反対する人人を横目で見ていた。

なにも起こっていないことに判断はできないと思い。

日常にながされていた。

そういう責任。

 

 

http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html

《ドイツZDFテレビ「フクシマのうそ」》




代受苦

  • 2012.02.11 Saturday
  • 22:26
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身体のほうはなんとか。

動くと疲れて寝るのだが、そんなことはあたりまえ。

何年か、大事にして動かずにいたもんだから、足腰が弱ってしまったようだ。

疲れて寝てもいいから、動くことにした。

ほぼ毎日、すこしだが歩いている。

疲れることが怖くて、「じぶん」をやってられんよ。

 



前の記事に載せた震災の映像をみていたら、左の目からなみだがひとすじながれた。

なんで?右目はどーした。


本当はもっとひどいのだろう。

あのひとたちのあのうごかなくなった手は、私たちの手とおなじように生をさわっていたのだ。


<代受苦>ということばがやってきた。

代わりに受けてくれた苦。

 

 


辺見さんの詩は命令形が多いな。

悲痛なかんじがするが。

詩集『眼の海』ともう一冊ばかり、amazonで買って読んでみようとしていたら、受賞したとのニュースがはいった。

受賞メダルのかがやく胸って、なんだか色あせる。

Wikiで調べてみたら、辺見さん受賞だらけ。

興味がうせてしまった。

 

 

サッカーの世界的な選手が、世界一になるという目標を掲げている。とTVで。

 


Krishnamurti
は、勲章とか、報酬とか、尊敬とか求めるのはそれ(やっていること)が「好きではないのです。」と言っていた。

 


その選手も、みているとあまりサッカーが好きなようではないよ。

ほんとうにすきなことは、なにもいらない。

ただそれをする。

そして、一生する。…というか、してしまう。
気がついたらずっとやってきたといったものだろう。

 


ゴッホを想う。


ゴーギャンは、「自分が不幸だとおもったらゴッホをみろ、より不幸な人間がそこにいる」と言っているが、タヒチに行っても、母国フランスでの評判をきにしたり怒ったりしている(『オヴィリ―野蛮人の記録』)ゴーギャンは、最後まで自分の絵の評価を求めて、タヒチにいても不幸だった。と思う。


まあこの世界は評価でがちがちに構築された世界だから、ムリもないが。

 


絵に到達するまでは絶望もしたが、死ぬまでただただ絵を描いたゴッホは、幸せな人間だった。といまは思う。





 

 

あの津波、という真実

  • 2012.01.10 Tuesday
  • 13:27
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14日のETVで≪大震災発掘≫という番組の再放送があった。

貞観地震による巨大津波がはこんだ砂を地層に読み取り、それを発表しても、原子力は推進された。

また、断層の長さにより起こるべき連動地震のマグニチュードを予測しても、無視された。

推進しようと政府が決めた事業があれば、それに都合のいいデータをとりあげ、真実のデータは無視される、ということが実際起きた。

ひとのすることはそういうものかもしれない、とおもう。

 

個人でも、なにかしよう、なしとげようときめると、都合のいいように解釈したデータをつかい、都合のよくないものはみないことにしないか?


人間のすることなのだ。

完璧に安全などということはありえない。

地震はある。津波はくる。機械はこわれる。人間は過つ。


それを、原点にたたきこむことからはじめなければ。

そこから出発するならば、原発なんて出来ないはずだ。


原発は核兵器の問題なのだといわれる。

 

強い国にする、侵略されたらどうする、仕掛けられたら殺されるだけだ、

などと富国強兵をおしすすめて、けっきょく日本人は300万人殺された。

 

原発はおわらせる(といっても核廃棄物が無毒化するのに100万年かかるという)

原発を外国に売らない。

戦争の準備はしない。

基地はすべて撤収してもらう。

 

政治がこれと反対のことを進めてゆくならば、政治とは何?

 

銃を持てば銃で殺される確率は高くなるだろう。

丸腰を撃つものもいるだろう。撃つなら撃て。そのくらいの覚悟はいるだろう。

 


また、≪大震災発掘≫第二部では、地質学者たちが、地層を調べ、大津波の証拠をつぎつぎに発掘していた。そのサイクルはおよそ300年、かならず来る。

どうしてそれに着目していなかったのか、不思議だ。

 

ここ千葉の地層は、関東ローム層といって富士山、浅間山などの噴火で大量の火山灰がふりつもった。その山たちだって、いつ大噴火するか、かならず噴火するのだ。

 


自然は強大だ。人間が技術を極めても、大自然の働きには勝てない。


あの津波が本当の真実だ。人間はもっと謙虚にならねば…と、そばにいるひとが言った。



 

民を守らない国

  • 2011.10.02 Sunday
  • 22:23
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国が安全だというのを信じて、このような世界になってしまった。

国は民を守るものだと、漠然と信じていて、棄民されつづけている。

信じる―というよりも考えなかった、あるいはよいように考えた結果。

戦争に入っていったながれと似ていないか。

 

国は放射性物質の安全基準などという。信じない。
が、数値だけは示す義務がある。それを覚悟の上食べるしかない。

放射性汚泥をあらたな所に置くのに、「安全に閉じ込めているし、仮に置くだけ」などというのを、少なくとも私は信じない。
「痛みを分かち合うべきだ」などというキレイな言葉でだまされない。わたしが覚悟して、分かち合う。

避難区域に帰ってきても大丈夫というのも信じない。
ただ、そうであっても、すべて覚悟の上帰ることをえらぶひとを国は支援しなくて、なんの財政だろう。


小出さんがいうように、変わってしまった世界で生きるしかない。

 


友人の義兄が、再生不良性貧血で亡くなった。血液のガン。


―原発に下請けで勤めてたことがある…


しかし、その因果関係を証明できない。
これから多発するだろうガンや心臓病も、放射能との因果関係は証明できないだろう…と政府関係者はほっとしただろう。ほっとしたもので、法律違反をどうどうと犯し、国民の年間被曝限度量を20倍に上げた。


民を守らない国であることが、はっきり証明された。


独裁政権や軍事政権とたいして変わりない。民主主義というカタチは利用されているだけだ。


反逆しないでいきてゆくことができるのか?

 

 

…君たちには特定の型にはまった思考の習慣がすでに確立しているので、たとえ「反逆」するにしても、それはその型の中のことなのです。
それは囚人がよい食事や多くの設備をうるために反逆するようなものですが、いつも監獄の中なのです。
君が神を求めたり、正しい政治とはどういうものかを見出そうとするときにも、それはいつも社会の型の中にあり、その型が「これが本当で、あれはまちがっている。これがよくて、あれが悪い。これが正しい指導者で、これらが聖人だ」と言うのです。
君たちの反逆は、野心的でとても利口な人たちのもたらした革命なるもののように、いつも過去によって制限されています。
それでは反逆ではないし、革命ではありません。
それは単に、型の中での高揚した活動、より勇敢な闘いにすぎません。
本当の反逆、真実の革命とは、型を破ってその外で探究することなのです。

                                         ――― 
118<子供たちとの対話>krishnamurti

 

                                     

 



小出さんと賢治さんと

  • 2011.09.11 Sunday
  • 22:21
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 宮沢賢治は家が質屋で、貧しい農民がなけなしのものを持ってくるのをみて育った。
その血の滲むようなお金で育ったということが、思想の底にあり、火山の噴火口に身を投げて冷害の村を救う(グスコーブドリ)という話は、私にはなにか自己犠牲すぎてつらくなるのだが、総じて、貧しい人のさいわいのためにその命をささげた。

最愛の妹が亡くなって、妹の浄土でのさいわいを思うと、とくべつに身内を思ってはいけないと書くひとでした。

法華経も学んだようです。

宇宙にひびいてゆく詩など、その世界はおおきすぎて、わたしにはとてもはいりきれません。
ただその世界をぼんやり見ているだけかもしれません。

 

賢治さんは唯識でいう「菩薩」だとおもっています。

菩薩というのは、たいへんな修行をしてこの世に生かされ苦に満ちた人人を救うことに力をつくす人のことをいいます。

それにはさまざまな資質も必要で、なにより弱いものへの視線と慈愛のこころがなくてはなりません。

 

この原発事故で、私はひとりのひとが、賢治さんに重なってしかたありませんでした。

 

世界に苦悩があるかぎり、個人の苦悩が消えることなどありえない。世界がかかえる問題に向き合って、いわれのない犠牲を他者に押しつけずにすむような社会を作り出すためにこそ、私の生命は使いたい。そしてそのような社会が作り出せたその時に、原子力は必然的に廃絶されるのである」――小出裕章

 

 

小出さんは、健康、頭脳、高い資質をあたえられ、この社会で文句無くトップをはしる権利を与えられた人だ。

しかし、この科学者は人間としてそれを蹴ってしまった。

 

「蹴った」といえば私も小規模ながら蹴ったことを思い出した。

……「(たぶんなけなしの)金を払って入れてやったのに蹴りやがって!!」と、父は予備校を辞めた私をののしった。兄は平手打ちをして「あまったれんな!」と言った。

どうしてもそっちの方向に「私」が描けなかった。

生きていてどうして食ってゆけないことがあろうと啖呵をきって、死まで覚悟して、アルバイトをしては山や海にむかって放浪した。(そのころひきこもりはかんがえられなかったのね)

人間として生きたいと願っていた。それがどういうものかわからなかったが、なにか草とか樹とか雲とか海とかそんな方向にばかり傾く自分だった。

残念ながら、賢治さんや小出さんのように、「困難をかかえている生き物に対して」ではなく、自分だけだったところが、なんとも卑小だ。

 

賢治さん、小出さんのような人が、出現したということが、人間が見捨てられていないということだ。

 

社会は、人間の内面が現れたものです。とkrishnamurtiは言う。

それゆえに、社会のすべてにわれわれひとりひとりは責任がある。

 

間違いに気が付いて、どうやって次の世界を築けるかということだと思いますので、やはり最後は、『ひとりひとり』だと思います。」――小出裕章

 

 

 小出裕章非公式ブログ>

                                  




縄文のこころ

  • 2011.09.02 Friday
  • 22:20
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世界遺産ナントカという番組で、縄文の三内丸山遺跡がでて、そこで、小児麻痺の大人の人骨が出てきたそうだ。

障害のあるひともちゃんと育てられ生きていたということだと説明されていた。

私などのような病弱は、古代ではまっさきに淘汰されていると思っていたから、とてもおどろいた。
縄文の精神文化は障害などとは考えなかったのだろう。

 


人間のあれこれを比較計量して評価選別して、社会体制に益のないものは切り捨てる、福祉は選挙用にやる、そんな現代。

フクシマで、政府は、情報をひた隠し、ごまかして避難もさせず、ヨウ素剤ものませず、子どもたちにとんでもない被曝させたまま、年間被曝量を1から20ミリシーベルトに引き上げて法律違反までして、この期に及んでさえ民を守ることなく見捨てる国だということを証明した。


そんなチームにいる人※が、朝日ガン大賞トカいうのを受賞し朝日新聞「ひと」欄に写真が載った。ま、賞というのはそんなもんだとおもっているが、ものすごく影響力のあるメディアが、「ごまかし」に紙面や電波を使っている。


さきの戦争では、新聞やTVはただしいと疑いもせず、戦争につきすすんだのではなかったか。



忌野清志郎「軽薄なジャーナリストにはなりたくない」 




縄文時代。

それぞれ、いのちが、ともに助け合って生きる。

適度に収穫し適度に栽培もし適度に狩りもして、武器はもたず平和に交易をしていたらしい。

三内丸山の高い建造物は、宗教関係の何かかと言う説だったが、さいきんでは海をこえてやってくる舟の、目印シンボルタワーだという説が有力になってきた。

 

加曾利貝塚では、柴犬らしい骨が埋葬されたかたちで出土している。

 

縄文の精神文化は、出土されるものから推測するしかないのですが、この日本列島に小欲知足のすぐれた精神文化の時代があったことは事実だ。

私は縄文時代にワープしたい。

 

 


日本と言う国を動かしている体制が、いかに強欲に動かされ、民は眠らされ、ごまかされつづけているか。
中手聖一さんがせつせつと訴えます。


※とにかく見て下さい。


2011/8/27
2回核・原子力のない未来をめざす市民集会@
台東

子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表中手聖一さんは、150ごろから
です。









やむなきところから

  • 2011.06.29 Wednesday
  • 21:26
 

小出裕章さんの本や講演・インタビューなどの言葉に向き合ってきました。

連帯もせず、ひとりで告発し続けるひとたちがいる。

「おのおのそのやむなき表現をせよ」―宮沢賢治

しかしそれは、敗北の歴史で、こんかいフクシマ原発事故で決定的になったと。

 

原子力に夢を抱いて大学へ入ったが、仙台に電気をおくるために女川に原発を建てるその意味がわかったとき自分の道は決まったと。危険な原発であること、危険なものは過疎地におしつけること…

小出さんは、犠牲になる人々の事を知れといい続ける。

弱い立場のひとたちにとことんよりそい続け、科学者としてデータを示し、話し続けている。その尽力は一部をのぞいて、無視を決め込んでいる、無視しなければならないのだよね。そんなことをやっているんだね。

英断で、即刻原子力をやめたとしても、放射性廃棄物の処理方法すら確立されていない。

原子力の利権をつかんでいるものは、こんなありさまでも原子力をはなそうとしない。まあそうかんたんに廃絶されるとはおもわないが、なんだかほとんど絶望したくなる。

 

私自身、このよの悲惨について、どう考えたらよいのかという疑問がずっとあった。

このよの不条理は、条理があると思うほうがまちがっている。不条理こそこのよの姿なのだ。

とはいえ、この世の機構のために、虐げられ犠牲になっている人々を「不条理だ」といってしまってはいけない。「かわいそう」などというべきでもないと思う。

小出さんの本を読んで、多大なエネルギーを享受している私たちこそ、その知らず知らずの加害者なのだということをわからせてもらった。

そういう、「弱いものへの視線」こそ重要なのだと。

そんなまっとうなことを40年言っているひとが敗北する世界。

 

小出さんはお酒が飲めなければ死んだほうがましだというが、その風貌には現世をはなれてしまっているような雰囲気がある。

彼がインタビューで、うれしそうに応えるのは「なぜ教授でなく助教?」と聞かれたときだ。この世の価値観はそんなことをよく聞くが、いたずらして面白がっている子どものように笑っている。

 

真っ当なことをするひとが敗北し、被害者も立場が代われば加害者に代わりうるこの世界、連帯は分裂を含み、恐怖は暴力に移行する。

 
個人の、たとえば小出さんから、小さな一歩から、たゆまぬ情熱から、世界はかわってゆくことは信じたい。

この世自体がろくでもないところだ。

ひとは苦しむために生まれてきたようにおもう。

 

しかし、それが、意味がある?そうかもしれない。



日本国憲法前文は「絵に描いた餅」か?

  • 2011.06.23 Thursday
  • 22:57
 

日本国憲法前文

 『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する


解釈のしようがないほど明確に、軍隊でなく、諸国民の公正と信義に信頼して自分の安全を守るというのです。そしてそのためには、全世界の国民が、ひとしく平和のうちに生存しなければならないとかかれています。

「全世界の国民が、ひとしく」とあるとおり、一部の国が享楽的な生活を送り、一部の国はそれにひれ伏して生きなければならないという世界そのものがまちがっています。

                                        ――p112

 

まったくこの国はなんという国なのでしょう。他国に核を持ってはいけないというのであれば、自分が米国の核の傘に隠れてもいけません。本来なら、軍事力でなく諸国民の公正と信義に信頼して安全を守ろうとした国です。

自衛隊を廃止し、米軍などすべて退去させるのが憲法の理念です。そうした根本的な議論を回避してきたことが一番の問題です。(傍線引用者)

――P116「隠される原子力―核の真実」小出裕章

 

 

まったくおなじおもいです。

 

そういうと、「絵に描いた餅」「攻めてきたらどうするんだ」といいます。

 

子どもが小さいときは子どもをまもらなければならなかったので、まよいがありました。

が、いまは、無防備な人間を殺すものがいるならばしかたない。

今までも多くの(あまりに多くの)無防備の人間が殺されてきた。

日本人もさきの戦争で、中国で、南方で加害者になってきた。

わたしもやられるそのひとりにならない根拠はない。

 

なにより、軍備、軍隊があっても、守るのは自分とそのシステムだけで、民はコマ、あるいは盾、あるいはかえりみられず、多くの兵が民が死んでいったではありませんか。日本では、とくに沖縄戦はどうだったですか?





 

 

足るを知る

  • 2011.06.19 Sunday
  • 22:23
 

 

「原発のウソ」「放射能汚染を超えて」「隠される原子力―核の真実」小出裕章さんの本をよみました。

 

この地球に繁栄し覆っている人類が、この奇跡の星をとんでもなく汚染してしまった―とりかえしのつかないものもふくめて。

伐採、砂漠化、飢餓、ひとがひとを殺す戦争、劣化ウラン弾、核実験、原発による放射能汚染………

 

「放射能を噛みしめて」ということばの意味もわかりました。

私たちが選択―あるいは黙認して、僻地に(札束で頬をひっぱたいて)建てた施設、私たちが利用してきた原子力発電のエネルギーをつかってきた、その施設の破壊にともなう放射能を噛みしめることだ、と。

チェルノブイリの時、汚染された食品を日本は輸入規制したけれど、それがアフリカに行っている、ということにまっすぐなこころで怒る。

だから子どもは被曝させてはいけないということを言い続けておられる。

 

弱い立場のひとたちへの視線がベースにある。

先進国のエネルギー浪費が貧しい国の犠牲の上にたっていて、その浪費がまた犠牲を増やし続ける。強いものが弱いものを犠牲にする、そのようなパターンが日常化している今。

そのひずみで起きた事故はまた、弱い立場のひとが犠牲になっている。

そんな世界の構造に異をとなえる。

 

人間の悲惨さ、苦しみの側に立った言葉だ、こころがいたいほどに。

 

小出さんが告発するのは原発にとどまりません。

弱いものの犠牲の上に成り立った、エネルギー浪費社会―それをしているひとりひとりを告発しています。

 

 

しかし、もし地球の生命環境を私たちの子どもや孫に引き渡したいのであれば、その道はただ一つ「知足」しかありません。(中略)

私たちが日常的に使っているエネルギーが本当に必要なものなのかどうか真剣に考え、一刻でも早くエネルギー浪費型の社会を改める作業にとりかからねばなりません。

                 
                                                  ――― P153「隠される原子力―核の真実」小出裕章





「いままでと違う世界に生きる覚悟」

  • 2011.06.10 Friday
  • 23:16
 

おめでたいひとです。

日本は戦争で懲りて、もうそんな非人間的なことをゼッタイしないように、政治もむかっているとおもっていました。生活もなんとなく清潔で棲みよくなってるし、社会はまあ進歩しているとおもっていました。人間もエコロジーをかんがえるようになり、ナカナカ進化しているノデハナイカとおもっていました。

情報はNHKと朝日新聞、大本営発表のみ。

インターネットでは、見に行けばあらゆる情報がみられるのです。

政治がきらい、経済はちんぷんかんぷんとはいえ、じぶんのことにかまけて、それすらしていませんでした。

 

そんなホウけてくらしていたころ、世界そのかたすみで、こころあるひとたちが、弱者をみつめ、権力をもってつぶしにくる強者―そのシステム、組織、お上にたいして、たたかっているひとたちがいた。

 

おめでたいこのひとも、ものごころついてより今日まで、弱者におおきな涙をながしていましたが、なにもできはしませんでした。

なさけない人生です。

 

小出さんは、「いままでと違う世界に生きる覚悟」

と言っておられました。40年間反原発を言い続けたひとがいうのはおそろしい。ほんとうにそうだと思うからです。


http://hiroakikoide.wordpress.com/
<小出裕章(京大助教)非公式まとめ>

 

こちらの世界には、ナカナカ日があたりませんが、社会的弱者対するまなざしがあり、体の底には正義感と勇気が流れ、しかも淡々と「そのなすところをなし」、温かく灯る人間のこころがありました。

 

 

http://www.youtube.com/watch?v=gNWVljrvl3o

<心からの叫び!元原発技術者菊地洋一さん中部電力靜岡支店で訴えた>

 

原子炉設計者の、浜松原発停止の入魂の申し入れで震えました。

設計段階で、危険な原子炉であり、そんな原子炉をとうしてしまう(おかねもうけ)システムだったことがわかりました。

 


原発を停止するしかないと、このアホウにもわかりました。

停止したところで、放射性廃棄物=死の灰は、ヒロシマ爆弾120万発分だそうです。

非人間的な、まちがった道はどうなるのか?
人間だけでないあらゆる命までもが、危機にさらされます。奇跡のバランスが崩されて、自然に覆われた地球というものがあるかどうか…

それでも、生き物は進化してゆくかもしれないし、人間もしたたかに放射能耐性の強い種ができあがって生きのびたりして。しかしそれは不自然。ゆがんだ自然。人間がもたらした悪。

人類はいつまでこんなことをしてるんだろうか?





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