自分への光線

  • 2016.09.30 Friday
  • 17:22

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その光線は、私をも照らした。

私には子供がふたりいる。その子たちに対して母として私がやってきたことに、……

完璧な親はどこにもいないし、よくあろうとすることが、結果相手を傷つけてゆがませてしまう。親はよかれとやっているのだ。またはなにをしているのかわかっていない。なんということだろう!

つくづく自我というものがいやになった。

ああしようこうしよう は、すべて自我からでているのだ。

私の自我が子どもたちに及んでいたということに気づいた。もう、自我などというものに主導権をあたえてはならない。自我というプログラムを削除したいと本気でじっかんした。せめてそのソフトウエアを休止にしたい。

 

 

 

了解

  • 2016.09.23 Friday
  • 17:03

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「ほんとうは母は私を愛してくれた。」「それを私はただ見落としているのではないだろうか?」と、性懲りも無くぼんやり過去をさぐっている自分。そんなものは無く、ますます寂しいことになってしまう。そもそもそこそこ親に愛されてそだったひとは親のことは言わないし忘れている。母のことをいつまでもいじっているのは愛されていなかった証拠でもある。

突然やってきた、「母は私という存在が許せなかった。嫌っていた」と、了解した

すると、不思議なことに、ひとつの扉がひらき、ひかりがさしこんだ。

 

私は事実にやっとのことで出会ったのだ。

無意識の中で、母に愛されているということを思いたくて嘘を自分のからだにまみれさせて生きてきたのだ。

承認されなければ生きられない。よい子を演じた。そうでなければ生きてはいけないとおもいこんで。現実があまりに陰惨で寂しく、どこかに真実がある筈、私にめぐまれていないのだとかんがえ、探すたびをしてきたのだ。よい人間になろうとした。それもおわった。

そうだったのだ。母は私が嫌いだった。生まれて欲しくなかった。あんなにあからさまに見事にむきだしていた―そういう母もすごい―のに、当の相手(私)は、めをそむけて偽善で覆っていた。わかっていたのだ。

その事実を認識し受け入れたたとたん、永き抵抗と自分へのごまかしはおわり、ひとつの扉は開き、自分を照らし出した。その真実のひかりが地上を照らした。

がっかりするとは反対のことが私に起きた。なにもかもがのみこめた。そうなのだよ!

 

「よい子」の着ぐるみは落ち、自分にたいして最後のハイパーウルトラうそがなくなった。せいせいした。

模範解答は捨て、これからは理想など持たず現実に対峙できるだろう。

そして不思議なことでもあるが、その自分をてらしたおなじ光が世をてらした。

真実のひかり。それは過酷をも写す。しかし今を救済するのではないだろうか。

よい世も無ければ、よい(だけの)人生はない。

たったひとつの意識で、クリヤーになったのは勿論、思いがけず身体がかるくなって、不思議な元気も出てきた。

こういうことがあると、私という命は猶予をもらっていると思わざるをえない。

生きている不思議をまたひとつ味わった。

 

 

 

 

 

不自然な作為

  • 2016.08.21 Sunday
  • 23:16

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山本周五郎の短編に、母が死に、父は病気、弟は盲目で、一手に生活をささえていた娘が、濡れ衣で牢屋に入れられるのだが、やっと休めるといって喜んでいる場面があった。

よく父がはなしてくれた母の人生、それは本当にひどかった。病弱に加えて災難に遭い、負わされた生活も悲惨なものだった。その死も医療事故であった。

葬式では、その無残さに泣くひと多数。大合唱。

あれには青春がなかったんです、と父は泣いていた。

その内容はちいさな私もきかされた。それはあまりにひどく、

母がじぶんの人生を恨みに思ったとしても、仕方が無いと、私はおもう。それしか方法がないよ。恨みに思うことでパワーもでて、なんとか生きてゆけたのだろう。

 

私もおなじ病をもってうまれて、そのうえ、小さいときはよく熱をだし、気管支喘息の発作、腎不全と、運命のように病気である。ゆえに、健康というのはどういうものかわからなかった。喘息が治ったときに、健康な人生ってこういうものなんだ!と。肉体への負荷と燃焼こそ人生なんだとおもった。その僥倖もすぐにおわり、なんで自分はそうでないのかと単純に疑問に思うし、これでもかとたたかれるたびに自分に与えられた条件である病弱を告発したくなる。望むは終了=死である日々もあった。健康であるだけで、幸せだ!とほんとうに思う。

 

ひとは、うらむことで、なんらかのカバーができて、なんらかの黒っぽいがパワーがでてくるのではないか。

恨むといえば、おとうさんが退職するのを待って離婚したというおかあさんがTVにいたが、それはいづれそうするぞという粘るパワーで生きてきたのだろう。恨むことは、現実に対処しないことのいいわけ、弱者の方法なのか?

 

なんでこんな病気ばかりと時におもう。しかし、健康だろうが、病気だろうが、人生のたいへんさにはかわりない。病気でできることはかならずある。

私はうらみにおもうことはしない。

うらみにおもうことこそ、マインドの好きな不自然な作為だと、きづいた。

 

 

 

 

苦の錬金術

  • 2016.07.31 Sunday
  • 22:51

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姉は親になったとき、父に美醜で・母に頭のよしあしで判断されたことをもって、それをわが子には一切やめ、ありのままに育てようと決心したという。実家ではタブーだったスカトロジーに、姉と子どもたちはモエてゲラゲラ笑って楽しそうだった。

その子供は人生後半に入ったが、いまも幸せそうに生きている。自分のなにもかも肯定できるのだから。

ただし、社会はそうはいかないので、そこの回避はさまざまであって。

男の子は、周囲と交流しないことで勤めあげ、金が溜まった時点で実家にひきこもっているが、ナカナカたのしそうである。女の子は天真爛漫な伴侶と明るい無邪気な家庭をつくりあげた。問題は起こるが、彼女は肯定、時には頑固一徹で、「いいんだ」とまげることはしない。

私は、そのような育てられ方をされた甥と姪の行く末を多大な興味をもってながめてきた。姉をはじめ一家みんなが超健康であり、なかなかしあわせそうだという結論である。

で、いいじゃないか!

彼らに話をする機会があると、「なんもきにしないよー」とおわってしまう。

カミサマの前に出たときも、「なにもきにしないで明るく楽しく生きました!」と素直に言うんだろうな。

 

この世が苦しみだという人は私をふくめいる。そういうひとにとっては、それを行き抜くしかなく、どうせなら迎え撃って、曰くいいがたいところへ抜け出る場だと私は実感している。とすれば、苦しみは恩寵といえないか。

 

許すことがないままに

  • 2016.07.21 Thursday
  • 23:16

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病の進行を感じざるをえない日々、なんとなく記憶の中の同病の母をおもいだす。

おおかたは黙っていたが口をひらくと、知的なことを「教えて」いた母。

 

ジェームズ・ヴァン・プラグ 『人生をもっと幸せに生きるために―死者からのアドバイス』

著者には霊感があって、死者が見えメッセージを受け取ることができるらしい。死者は自分のせいで苦しむ関係者にメッセージを伝えたいらしい。というわけで、この本には、死者と生者間の許しということが書かれてあり、私も母を最終的に許せたらいいとおもった。記憶のなかに母が私に向けたなにかよいものをさがそうとしてみたが、すればするほど何もなく、かえって末子を完璧に拒絶して死んでいった母が浮上してくる。

その片鱗も無いというのも見事ながら、死に際に、すがるような希望を託した中学生(私)に、朦朧としつつも、残余の生ではっきり拒絶した。完璧だった。

 

前掲書では、あいてに傷つけられた人が、霊となってから許しを与えるありさまも書かれてあった。

若いころ明晰夢の中に、母を捜していた私は『ブレードランナー』のような雨の降る都会の暗く湿った片隅に座り、うつむいている母をみつけた。こんなところにいたの!と私は皮膚の穴がすべて開くような思いで接近をしたが、母は自身の苦の中からでようとはせず私を無視した。これは夢だけれど。プラグ氏の話しのように、母は霊として許しを請いに来ないだろう。すまなかったね…許してください…などと、霊になっても言う母ではない。

私への拒絶は、せめて自分の理想にあわなかった夫への、そして惨憺たる人生へのゆいいつのレジスタンスだったのだろう。レジスタンスは生きる力だ。私も母の役に立ったか。しかしそれはたかだか「思い込み」の範囲のはなしである。

母の57年の存在はマインドに満たされていた。

私はこんなに長く生きた。母親にめぐまれなかったが伴侶にめぐまれたから。

私は手をはなす。たぶん私は許されることも許すことはないだろうが、どうでもよくなった。

許す許さないは結果であり、エゴのニオイもする。

生きているということは、きれいごとにすりよらず、現実をそのままうけとめることではないか?

 

 

 

 

言葉という綱を緩めて…

  • 2016.07.09 Saturday
  • 23:33

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体調がおもわしくなく、長くお休みしました。

漢方で、だいぶ動けるようになりました。

腎不全は進んでいますので、このささやかな元気は奇跡のようにおもえる状況です。

 

―書かなくても生きてゆける― ように なったとおもいます。

言葉という方法で生きてきたけれど、それの無い別の次元がひろがっていた…

 

つまり、この言葉での表現もそろそろ終了しなければなりません。

ながいこと読んで下さって心から感謝しております。

 

そして、説明はできないけれど、私にできる表現をできるかぎりしてお別れしたいとおもっています。

 

 

 

 

  • 2016.06.05 Sunday
  • 23:03
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真実を知りたい!

そうやって生きてきたが、

わからず

 

なにが知りたかった?

真実を

この一期の生で、知ることができれば。

ことばは門をひらけない

言葉をはなしたときに、それはみえる

 

カフカに『門』という短編がある。

門があって、主人公はそこを通ろうとするが、門番に手荒く追い返される。

なんどか入ろうとするのだが、そのたびに阻止され、入ることをあきらめる。

すると、

「この門はおまえだけの門である」、門番はいう。

なんと矛盾した話だろうと、なにをいっているのだとふしぎなかんじがしてけっきょくわからなかった。

いまはわかる

自分だけの門があり、そこを通るにふさわしい人間に相成ったときに、そこをとおることができるのだ。

カフカは、この世の不条理を書き出した作家とされている。しかし到達しなかったともいわれている。

喉頭結核で亡くなった。晩年はともに住み最期をみとったひとがいた。

カフカはふさわしい人として門を押しひらいただろう、しかしそれは言葉にはされない。

 

嫌われないこと…

  • 2016.05.26 Thursday
  • 21:27
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先日、たいへんひさしぶりに兄と姉に会い、気づいたことがあった。
 
私はよい子よい人をしていたのだが、思っていた以上だった。
兄や姉のはなしをきいていたら思い出した。母はひととはちがうという毅然とした姿勢を終始くずさずにいて、こどもにもそれは伝わっていた。頭がよく、家がよく、お行儀がいい。これは三つともはっきりと事実ではなく憧れの域をでないゆえにもっていたもので、劣等感の裏返し、それで胸を張って毅然とした態度である(ちゃんとしている)という自分をアイデンティティとしてもっていた。私のいじけた猫背をしょっちゅう指摘していた。現在老境にいる兄・姉に依然としてそれがあることが、わかったし、私もそういう三つ巴のなかで育ったのだ、すりこまれないでいるのはむずかしかった。私は「ちゃんとしている」というなんの根拠も無い劣等感そのものであるそんなものにすがって生きてきたが、社会に出て粉砕された。
 
同時におもいだす、私には、相手に気に入られたいという古びたものがあった。
であうひとに、なんの根拠も無いのだが、とにかく、嫌われないようにふるまうこと、いやもっと積極的に気に入られるようにふるまうのだ、といういじけた固定観念があった。
父が、温度差のはげしいひとで、機嫌よくいていただくために、気に入られる子でなければならなかった。周囲にはおとなたちが棲息していて、こどもの私が面白いことを言ったりやったりするととても機嫌がよかった。ご期待にお応えするこまっしゃくれた道化だ。
 自分はめのまえのひとにどうしても気に入られなければならない「たのしいひと」とおもわれたい、愛されたい。しかしそれは無理、すくなくとも嫌われないことに全力をつくす、もしくは不快でない存在でなければならないという反射が深く起動していた。人生の黎明期にインストールされたものは、暗闇で起動し続けている。光をあてなければ。
『嫌われる勇気』を読む。



 

「すべては灰だ」

  • 2016.01.18 Monday
  • 17:31
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「憧れ」って一体何?という問い

私のようなACを飼っていた人間は、「『よい子』でなければ生きてゆけない」。…とおもっている。
生きるために、実際の自分は否定し、よりよい「よい子」であることに全力をつくすとともに、自他ともに「かくあるべき」という理想をまずはもって人生をはじめる。そのような思考パターンが固定し、理想(よりよき**)という名の旗をかかげて人生をはじめる。

そして、人生の時間とは、よい人間になる旅であり、理想とめぐりあう旅であり、自他ともにそうでないことに、たゆみなく傷つきときには怒る。
 
私の三歳くらいの写真がある。おかっぱあたまの私はヨダレ掛けをし、足を投げ出してぺたんとすわり、うつむいて菊の花をむしっている。いまもそのときのこころもちは憶えている。
怒っている。
母は私を無き者のようにふるまい、こんな菊の花のほうを大切に飾っていることに怒り、野蛮にも菊の花に八つ当たりしてむしっていたのだ。


母は実験段階の歯列矯正を私にさせるために東京まで通った。私の前歯は縄文人の頭蓋骨にあるようにまっすぐに噛む歯であったので、しっかりかみ合わせるのが希望だった。母は「明眸 ( めいぼう ) 皓歯 ( こうし )」 と、小学生の私によく言い、歯がきれいであることがだいじなのだといっていた。そのような母であり、私は世界を理知で受け止める方法を体得した。
 
つらい現実の地点に住み、あこがれを育て、理想をかかげて、ありえないものを追いかけてきた人生だった。
「私を翻弄した憧れとは理想とはなんなんだ?」という長年の疑問が、やっととけた。それは、ありのままの自分はおしこめて(あるいは矯正して)、現実ではないもの(理想・憧れ)をひたすら求めてしまう思考パターンが私のエネルギーを使っていたのだ。それもまたおもしろい人生だったが、ここへ来るためだったとも言える。
 
「すべては灰だ」―――オーギュスト・ロダン
 
しかし、なんとすばらしい燃焼だったことだろう!すてきな浪費だったことか!
炎のごとく、に。
 

AC後日談

  • 2016.01.08 Friday
  • 22:56
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AC後日談
 

ちょっとしたことで、夫のまえでわんわん泣いてしまった。

(えーん)² といった泣き方は、記憶になく、初めて感があった。

まるで私のなかでよみがえった子供のように。そしてなにか不思議な透明感がやってきた。

そうか、私のなかのおとな子供(アダルトチルドレン)は消え、「こども」は救済されたのだと、おもった。

母もまた友も、よいわるいではなく、私の人生の時にかかわった希少なひとを、一気に許し、てを放すことができた。

友から電話があり、会ってスパゲッティなどを食べた。友はまったく変わっていないが、きにならなくなり、事実唯真という視界がひろがっていた。

 

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