『愛する勇気』

  • 2016.10.08 Saturday
  • 23:25

2015.10.22 007.JPG

 

 

漢方を飲み始めて1年が経った。大学病院の漢方医は、よく話を聞き、たいへんきめこまかく処方をしてくれる。服薬1年にして、信じられないほど元気になった。腎不全は進んでいるので、あまり無理をしないように!と釘を刺されるが、動けるのはたのしいので、動いてしまい、つかれてしまうことは変わらないが、回復するようになった。血圧も正常値内。苦い目覚めも無くなった。

ありがたいことだ。この幸運。この歳で病だらけのからだでこうしていきているということが、なにか、ふしぎな力によってなのではないか?と思ったりする。

 

 

手を放す方向にあゆんでいたが、自分の馬鹿さ加減にあきれはて、どうして自分はよきものとしてあちらの世界にゆくのだとしんじていたのか。手を放す方向に行き詰まりをかんじたので、いまいちど岸見アドラー心理学の本『愛する勇気』をよんで出直そうとおもった。承認してもらうために自分をまげることなく嫌われたっていいじゃないかという『嫌われる勇気』から、私は自覚と勇気をもらった。『愛する勇気』は、覚悟の勇気のはなしだ。たんなる理想ではなく、人の世におとされた人間としての自覚をうながすほんだった。

やっぱり、私は本が手段だった。読むこと=知ることはベースなのかもしれない。

そして、それでも、手をはなすこと。理屈のない境地には行きたい。

 

 

コメント
本について、アジャシャンティという人はこう言ってます。

https://resonanz360.com/category/アジャシャンティ/

「私はこれを知っている。知っている事に気付いていなかっただけだ」というのは、私が精神世界に本格的に興味を持ったきっかけの本を読んだ時の感覚ですね。
「これは私の知っている世界だ。そう、世界はこうなっているのだ(これまでそんな風に考えた事は無かったけど)」と感じました。

アジャシャンティという人は、覚醒した人らしいですが、激痛を伴う病気を持っています。(アジャシャンティ 病気で検索すると多分情報が出てくると思います)
でも、病気に対して恐れは感じないそうです。
病気になった時、「今」以外のどの瞬間にも、所謂過去にも未来にも意識を行かせないようにしたとか。


  • Clary Sage
  • 2016/10/22 12:37 AM
クリックしても表示されませんね。

上にあるrezonanz360(サイト名)をクリックすると、サイトに飛びますので、アジャシャンティのカテゴリーを見てみてください。一番上の記事です。

  • Clary Sage
  • 2016/10/22 12:42 AM
http://rabbithole0.blogspot.co.id/2013/05/12-re.html


アジャシャンティが自分の病気について触れている質疑応答です。
  • Clary Sage
  • 2016/10/22 12:50 AM

「私はこれを知っている。知っている事に気付いていなかっただけだ」
そういう感覚はさとりとともにやってくるのでしょうか?
知っているというのは、今生の生だけのはなしではないからなのですか?

アジャシャンティのご紹介ありがとうございます。
痛みにたいして今に留まるということを、私はOSHOで読みじっせんしてみました。


  • 2016/10/22 10:56 AM
悟りというか・・・直観でしょうか。

「他の人生」関連で言えば、「初めて会ったはずなのに知っている」「初めて行った場所なのに知っている」という話はよく聞きますね。あれと感覚的には似ているのかもしれません。でも、「他の人生の記憶」というより、単に直観というべきものではないかと思います。
「証明はできないけれど、この人は嘘を言っていないと分かる」みたいな。


悟りというと、ラマナ・マハリシの「悟りを開く唯一の傷害は、自分は悟りを開いていないという考えだ」というのがあります。
私はこれは真実だろうと思っています。ただ、だからと言って「自分は悟りを開いている」と(信じていないのに)アファーメーションを繰り返したり、「自分は悟りを開いていない」という考え・思い込みを取り除こうとしても、あまり意味が無いだろうなとも。(やれるならやった方がいいと思いますが)

ただ、「(いつか、将来)私は悟りを開きたい」という望みが叶うのは難しいだろうなという気がします。
願望実現などでもよく言われますが、「〜が欲しい」というのはまず、実現しない。「既にそうなっていると思い、イメージする」とよく言われます。
悟りについても同様ではないかと。
よく、「今」にすべての時があると言います。「今」しか存在しないと。だから、「今は悟りを開いていないが、将来悟りを開きたい」というのでは駄目なんじゃないかなと。
「今、悟りを開いていない」なら、それが事実。
私もどうしても「〜したい」と思ってしまいますが、「悟りを開きたい」と思う、という事は「今は悟りを開いていない」と思っているいう事なんですよね。

だから、「今、悟りを開いている」と思うより他無いんじゃないかな。


  • Clary Sage
  • 2016/10/22 6:57 PM
「覚りをひらいていないものなどどこにいる」というケン・ウィルバーのことばを思い出しました。
今をないがしろにしているのは人間だけですね。

  • 2016/10/25 5:09 PM
ご無沙汰しております。
お薬、体に合ったものが見つかったようで何よりですね。
森の神様からのちょっとしたプレゼントなのかも。
これから寒くなる季節、動けるようになったからと
浮足立たず、ご自愛ください。
ではでは。
  • ユイちっち
  • 2016/10/30 6:22 AM
こんにちは!
アタリです。浮き足立って、ちょっとしたプレゼントを使いすぎてしまいました。じぶんが一番わかっていない。
そういうからだなのだとしっかりおもいしらされています。


  • 2016/11/02 5:48 PM
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>

言葉と出会う

My Kitchen

selected entries

categories

archives

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM