山・・・好きだから

  • 2008.03.13 Thursday
  • 16:39
yamanoi 2

アマゾンで『垂直の記憶 岩と雪の7章』を購入したところ、この本はありませんと返金された。
たまたまはじめて入った本屋にあったのでそれを買った。
『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』もアマゾンでみたら、中古だけ、しかもプレミアがついている。しかたなく倍の値段で購入した。
しかしまてよ、版元の山と渓谷社で売ってないかと調べたら、どちらも定価で売っていた。私はアマゾンに頼りすぎ。こんどは出版社にあたるべし。

『垂直の記憶 岩と雪の7章』山野井泰史著。
とても気持ちのよい素直な文章で、泰史さんがいかにシンプルにまっすぐに岩にいのちをかけているかがつたわってくるのだった。
「好きだから」ということはすごいことだ。

だいたいが自分の「好きなこと」がわからない。自分が好きなことはなにか?やりたいことはなにか?と暗中模索の日々であるのに、泰史さんは小学校五年のとき、その名も立岩先生という、彼を理解する担任にであった。「モンブランへの挽歌」という映画をみて啓示をうけ、好きなことがはっきりわかった。小学校の卒業文集に「無酸素でエベレストに登る」と書き、まよいはなかった。
小学校でじぶんが好きなことに確信がもてて、将来の目標を知るとは尋常ではない。

かりに好きなことがわかったとしても、世間の目やら気にし、なにより自分自身がこれでいいのか?などと自問自答して不協和音をもたらすものだ。なによりそのことひとつに人生を懸けて、ほかの欲望は切り捨てて行く根性が無い。そして時の流れが傍流に押しやってしまう。

好きなことにまっすぐすすめるということは、ほんとうに好きの純度が高いのだろう。
そして好きなことを実現してゆくことに、彼は極上の素直さも持っていた。


山岳ライターの書いた『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』のほうは、始めて見る写真が満載で、それらは山野井泰史提供とあったので、泰史さんが取材者に心をゆるしているなとおもい、期待した。

華麗な文体とでもいうのだろうか、自分に酔うようなオーバーなもののいい方が気になった。ライター氏も岩をヤル人で、なぜ山にのぼるのか?なぜソロなのか?と問い詰めていくがそれは彼自身の答えであっても泰史さんの真実に近づいたようにはおもえなかった。

しかし、ライター氏の長期密着取材により、写真と山野井夫妻の言葉が多く載っていたことにはとても満足した。

泰史さん妙子さんには空虚や不足をうめるように行為にはしるなどということがまったく感じられない。

なぜ登るのか?なぜソロなのか?私には「好きだから」という答えが聞こえてくる。
妙子さんがTVで、「好きだから。あとのことはどうでもいいんです。」(グリーンランドビッグウォール)とおっしゃっていたが、私のような凡人は「あとのこと」に未練たらたらで、結局一兎をも得ることのない人生をだらだらすごしてきた。「あとのこと」をかえりみない潔さがまぶしい。
ギャチュンカンで御夫妻ともに指を失くしても、生還できたことをよろこび、嘆くことなく、次をみている。それほどの「好き」がこわくもなる。

ただ、「好きなんです。」というおそろしくもさわやかな言葉。
「なぜ登るの?」「好きだから。」
私には十分の答えです。

好きなことに命を懸ける、こんな快感はない。
そこで死んだとしても、悔いはないないだろう。

できれば、だ。つきつめて先鋭的天上的になる男よりも、私は妙子さんのように手仕事の生活を丁寧にして、地上に生活を紡ぎながら、かつ好きな岩に取り付く、というのがいい。




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