山・・・魂の半かけ

  • 2008.03.15 Saturday
  • 22:19
前掲の『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』では、たとえば、妙子さんの印象をこのように描写している。

「・・・女性でありながら、手足の指先をほとんどなくし、鼻をも落とすと事態とは、いったいどういうことなのか。切断面は醜く盛り上がり、床やテーブルに落ちている100円玉が自分ではつかめず、『あるべきものが、ない』という違和感が、見るものにどれほど嫌悪感をあたえるものなのか。・・・・・・・・酷なようだが、私なら自分可愛さが先立って、間違ってもそんな女性を伴侶にしたいとはおもわない。」(p194)

妙子さんがどうみえたのか、一般の眼鏡もってきてみるのもよいだろう。ルポライター氏が伴侶にしたくないとおもってもかまわない。しかしかりにそうであったなら、なぜ泰史さんが妙子さんに『何年振りかで女に惚れちまった』と言っていることを、こころで聞かないのだろう。

「山野井が長尾(妙子さん)に惚れたのは『哀れみからの同情』ではなく、『自分のことを気遣ってくれる』心根のやさしさに対してだったのではないだろうか。どんなに強がっても人間はひとりでは生きられない。・・・・」(ルポライター氏)などという、まあそうだろうけど、それ以上を書いてほしかった。

私にはどんなに山が好きなのか、御夫妻のレベルにとりつけるてがかりになる秘密がそこにあるとおもう。どうしてもっとよりそってみないのだろう。
自分はいいことばかりいうレポーターじゃない、「酷なようだが」ずばずばいってこその文体と勇んで書いておられるのだろうか。ずばずば言ったところで書いた本人の古臭い女性蔑視と想像力の欠如がわかっただけだ。

・・・・・『何年ぶりかで惚れちまった。俺が女に惚れたっておかしくはないだろう。彼女とならうまくやっていけるかもしれない。』『ずっと緊張した日々をおくっていたから、妙子の存在が安らぎに感じられた。』どこにもその外見にこだわっている泰史さんはいない。とてつもなく純粋な目をして伴侶を選んだ。同じ価値観の相手に対して、人は惚れ、安らぐのではないだろうか。

「(妙子さんのことを)僕はどこかで気にかけすぎ、守ってやろうという気持ちがおおきくなりすぎているようにおもえる。確かにいつもの集中力とはどこかがちがう。」(「垂直の記憶」P75)
10年ほど前の映像では、ひとりの孤独な目をしていたが、最近の映像では、「・・・・だよ、妙子」「妙子、たのむよ」「妙子」は接頭語・接尾語となり、もはや彼の存在に組み込んで不可分のように思える。
「それまではひとりで悶々としてたから、妙子とくらしはじめて、精神的に落ち着いたという実感がある。(中略)たとえ手足がダンゴだってかまわない。妙子のためだったら、いつだって喜んで死ねる。」(『ソロ』P199)
「クライマーとして、やはり頂に立つことが喜びですから」と何年も立っていない妙子さんにグリーンランドのビッグウォールの最終トップをゆずっている。

純粋な魂の半かけが、同じような純粋な半かけに出会って、「好きなこと」にたいして互いに成熟してゆく、そのように私にはみえる。


むかし、TVで桜井哲夫さんというおじいさんとわかい女性の交流を映していたことがあった。桜井さんはらいを患って隔離された場所でいきてきた。両手はなく、その顔は、ぎょっとしておもわず目を伏せたくなった。のっぺりと片目はなく、小さな穴に眼球がひとつ光っていて、鼻も穴があいているだけ。声もうしなっている。

桜井さんは詩を書く。女性は金正美さんという祖先が朝鮮半島のひとで、学生時代ボランティアで桜井さんと出会い、彼を慕ってやってくる。美しいひとだ。桜井さんの言葉を愛し、こころによりそう。
桜井さんは、自分たち日本人が朝鮮を侵略したことを痛む。

そこには依存などという未熟な関係ではない魂がふれあう関係があった。
(参考;http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/sakurai_tetuo.htm
表面にこだわっていてはけっして到達できないところだ。


 
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