了解

  • 2016.09.23 Friday
  • 17:03

2015.9.5 002.JPG

 

 

「ほんとうは母は私を愛してくれた。」「それを私はただ見落としているのではないだろうか?」と、性懲りも無くぼんやり過去をさぐっている自分。そんなものは無く、ますます寂しいことになってしまう。そもそもそこそこ親に愛されてそだったひとは親のことは言わないし忘れている。母のことをいつまでもいじっているのは愛されていなかった証拠でもある。

突然やってきた、「母は私という存在が許せなかった。嫌っていた」と、了解した

すると、不思議なことに、ひとつの扉がひらき、ひかりがさしこんだ。

 

私は事実にやっとのことで出会ったのだ。

無意識の中で、母に愛されているということを思いたくて嘘を自分のからだにまみれさせて生きてきたのだ。

承認されなければ生きられない。よい子を演じた。そうでなければ生きてはいけないとおもいこんで。現実があまりに陰惨で寂しく、どこかに真実がある筈、私にめぐまれていないのだとかんがえ、探すたびをしてきたのだ。よい人間になろうとした。それもおわった。

そうだったのだ。母は私が嫌いだった。生まれて欲しくなかった。あんなにあからさまに見事にむきだしていた―そういう母もすごい―のに、当の相手(私)は、めをそむけて偽善で覆っていた。わかっていたのだ。

その事実を認識し受け入れたたとたん、永き抵抗と自分へのごまかしはおわり、ひとつの扉は開き、自分を照らし出した。その真実のひかりが地上を照らした。

がっかりするとは反対のことが私に起きた。なにもかもがのみこめた。そうなのだよ!

 

「よい子」の着ぐるみは落ち、自分にたいして最後のハイパーウルトラうそがなくなった。せいせいした。

模範解答は捨て、これからは理想など持たず現実に対峙できるだろう。

そして不思議なことでもあるが、その自分をてらしたおなじ光が世をてらした。

真実のひかり。それは過酷をも写す。しかし今を救済するのではないだろうか。

よい世も無ければ、よい(だけの)人生はない。

たったひとつの意識で、クリヤーになったのは勿論、思いがけず身体がかるくなって、不思議な元気も出てきた。

こういうことがあると、私という命は猶予をもらっていると思わざるをえない。

生きている不思議をまたひとつ味わった。

 

 

 

 

 

死という体験

  • 2016.09.11 Sunday
  • 21:36

2016.8.27 009.jpg

 

 

病弱のサダメながら68年も生きてくることができた。「老い」というのも体験することができた。

こんなにも生きることができた。

これも終わるのだ。

 

こんな身体でありながら、選択のときにはレールをはずれ、好きな道に生きてきた。

こんな身体だったからかもしれない。健全なあたりまえな生活が長く送れるとはおもっていなかった。ゼツボーしていた。だからこその蛮勇だったのだろう。

えらんではずれて歩んだその道も惨憺たる風景だ…と、そのときはおもっていた。

それは、その体験にすら、よい・わるいの評価を自分でくだしていたからだ。いつもながら愚かなことだ。

いまおもえば唯一無二のひかりであり風景であった。

 

この世からいづれフェードアウトする。

そろそろ終わるのだとおもうと、しずかな圧倒的な喜びがやってくる。

内燃機関もこわれ、ぼろぼろになった機関車、よくはしったよ!

不思議なことだが、こころはみずみずしく、意識はクリヤーになってゆく。終盤にこんな不思議が待っていたものだ。

 

これもまた終わるのだ。

 

死は最期の体験だ。どのように死ぬのかはわからないが、このまま腎不全での死は、凄惨な数十日ののたうちまわりのあげくであろうが、それもまた、終わる、それに身をまかせることは苦悶の裏というものもあるのではないか?

とはいえ、脳卒中や心不全などで、頓死または意識不明になったならば、それは私にとってはラッキー、ひょっとして恩寵かもしれない。場合によっては蘇生術や手術などはさせないでほしいと、リビングウイルを夫と話し合って書き足した。

しかし、どう死ぬのかは、まったくわからない。

 

 

なんとなく避けていたOSHOを読んでみようというきになった。

スピのひとの中には、「じぶんはこういう段階=つきぬけたところに在る=さとり」というアイデンティティをしっかりもってそれをきずつけないように慎重に行動発言している「覚者」がいる。そのようなかすかなニオイがちょっときになっていた。

OSHOは、写真でみるかぎりなにやら現世的な雰囲気で、アプローチをしたことはなかった。こだわりというものが、すべってゆきなくなってしまったので、おもしろそうだ、というわけで、とりあえずOSHO『死について』を手に取った。

 

 

 

 

不自然な作為

  • 2016.08.21 Sunday
  • 23:16

2015.7.1 001.jpg

 

 

山本周五郎の短編に、母が死に、父は病気、弟は盲目で、一手に生活をささえていた娘が、濡れ衣で牢屋に入れられるのだが、やっと休めるといって喜んでいる場面があった。

よく父がはなしてくれた母の人生、それは本当にひどかった。病弱に加えて災難に遭い、負わされた生活も悲惨なものだった。その死も医療事故であった。

葬式では、その無残さに泣くひと多数。大合唱。

あれには青春がなかったんです、と父は泣いていた。

その内容はちいさな私もきかされた。それはあまりにひどく、

母がじぶんの人生を恨みに思ったとしても、仕方が無いと、私はおもう。それしか方法がないよ。恨みに思うことでパワーもでて、なんとか生きてゆけたのだろう。

 

私もおなじ病をもってうまれて、そのうえ、小さいときはよく熱をだし、気管支喘息の発作、腎不全と、運命のように病気である。ゆえに、健康というのはどういうものかわからなかった。喘息が治ったときに、健康な人生ってこういうものなんだ!と。肉体への負荷と燃焼こそ人生なんだとおもった。その僥倖もすぐにおわり、なんで自分はそうでないのかと単純に疑問に思うし、これでもかとたたかれるたびに自分に与えられた条件である病弱を告発したくなる。望むは終了=死である日々もあった。健康であるだけで、幸せだ!とほんとうに思う。

 

ひとは、うらむことで、なんらかのカバーができて、なんらかの黒っぽいがパワーがでてくるのではないか。

恨むといえば、おとうさんが退職するのを待って離婚したというおかあさんがTVにいたが、それはいづれそうするぞという粘るパワーで生きてきたのだろう。恨むことは、現実に対処しないことのいいわけ、弱者の方法なのか?

 

なんでこんな病気ばかりと時におもう。しかし、健康だろうが、病気だろうが、人生のたいへんさにはかわりない。病気でできることはかならずある。

私はうらみにおもうことはしない。

うらみにおもうことこそ、マインドの好きな不自然な作為だと、きづいた。

 

 

 

 

苦の錬金術

  • 2016.07.31 Sunday
  • 22:51

2015.8.24 008.JPG

 

姉は親になったとき、父に美醜で・母に頭のよしあしで判断されたことをもって、それをわが子には一切やめ、ありのままに育てようと決心したという。実家ではタブーだったスカトロジーに、姉と子どもたちはモエてゲラゲラ笑って楽しそうだった。

その子供は人生後半に入ったが、いまも幸せそうに生きている。自分のなにもかも肯定できるのだから。

ただし、社会はそうはいかないので、そこの回避はさまざまであって。

男の子は、周囲と交流しないことで勤めあげ、金が溜まった時点で実家にひきこもっているが、ナカナカたのしそうである。女の子は天真爛漫な伴侶と明るい無邪気な家庭をつくりあげた。問題は起こるが、彼女は肯定、時には頑固一徹で、「いいんだ」とまげることはしない。

私は、そのような育てられ方をされた甥と姪の行く末を多大な興味をもってながめてきた。姉をはじめ一家みんなが超健康であり、なかなかしあわせそうだという結論である。

で、いいじゃないか!

彼らに話をする機会があると、「なんもきにしないよー」とおわってしまう。

カミサマの前に出たときも、「なにもきにしないで明るく楽しく生きました!」と素直に言うんだろうな。

 

この世が苦しみだという人は私をふくめいる。そういうひとにとっては、それを行き抜くしかなく、どうせなら迎え撃って、曰くいいがたいところへ抜け出る場だと私は実感している。とすれば、苦しみは恩寵といえないか。

 

許すことがないままに

  • 2016.07.21 Thursday
  • 23:16

2016.6.11 004.jpg

 

 

病の進行を感じざるをえない日々、なんとなく記憶の中の同病の母をおもいだす。

おおかたは黙っていたが口をひらくと、知的なことを「教えて」いた母。

 

ジェームズ・ヴァン・プラグ 『人生をもっと幸せに生きるために―死者からのアドバイス』

著者には霊感があって、死者が見えメッセージを受け取ることができるらしい。死者は自分のせいで苦しむ関係者にメッセージを伝えたいらしい。というわけで、この本には、死者と生者間の許しということが書かれてあり、私も母を最終的に許せたらいいとおもった。記憶のなかに母が私に向けたなにかよいものをさがそうとしてみたが、すればするほど何もなく、かえって末子を完璧に拒絶して死んでいった母が浮上してくる。

その片鱗も無いというのも見事ながら、死に際に、すがるような希望を託した中学生(私)に、朦朧としつつも、残余の生ではっきり拒絶した。完璧だった。

 

前掲書では、あいてに傷つけられた人が、霊となってから許しを与えるありさまも書かれてあった。

若いころ明晰夢の中に、母を捜していた私は『ブレードランナー』のような雨の降る都会の暗く湿った片隅に座り、うつむいている母をみつけた。こんなところにいたの!と私は皮膚の穴がすべて開くような思いで接近をしたが、母は自身の苦の中からでようとはせず私を無視した。これは夢だけれど。プラグ氏の話しのように、母は霊として許しを請いに来ないだろう。すまなかったね…許してください…などと、霊になっても言う母ではない。

私への拒絶は、せめて自分の理想にあわなかった夫への、そして惨憺たる人生へのゆいいつのレジスタンスだったのだろう。レジスタンスは生きる力だ。私も母の役に立ったか。しかしそれはたかだか「思い込み」の範囲のはなしである。

母の57年の存在はマインドに満たされていた。

私はこんなに長く生きた。母親にめぐまれなかったが伴侶にめぐまれたから。

私は手をはなす。たぶん私は許されることも許すことはないだろうが、どうでもよくなった。

許す許さないは結果であり、エゴのニオイもする。

生きているということは、きれいごとにすりよらず、現実をそのままうけとめることではないか?

 

 

 

 

言葉という綱を緩めて…

  • 2016.07.09 Saturday
  • 23:33

2016.6.22 001.jpg]

 

体調がおもわしくなく、長くお休みしました。

漢方で、だいぶ動けるようになりました。

腎不全は進んでいますので、このささやかな元気は奇跡のようにおもえる状況です。

 

―書かなくても生きてゆける― ように なったとおもいます。

言葉という方法で生きてきたけれど、それの無い別の次元がひろがっていた…

 

つまり、この言葉での表現もそろそろ終了しなければなりません。

ながいこと読んで下さって心から感謝しております。

 

そして、説明はできないけれど、私にできる表現をできるかぎりしてお別れしたいとおもっています。

 

 

 

 

  • 2016.06.05 Sunday
  • 23:03
2015.6.22 020.jpg

 

真実を知りたい!

そうやって生きてきたが、

わからず

 

なにが知りたかった?

真実を

この一期の生で、知ることができれば。

ことばは門をひらけない

言葉をはなしたときに、それはみえる

 

カフカに『門』という短編がある。

門があって、主人公はそこを通ろうとするが、門番に手荒く追い返される。

なんどか入ろうとするのだが、そのたびに阻止され、入ることをあきらめる。

すると、

「この門はおまえだけの門である」、門番はいう。

なんと矛盾した話だろうと、なにをいっているのだとふしぎなかんじがしてけっきょくわからなかった。

いまはわかる

自分だけの門があり、そこを通るにふさわしい人間に相成ったときに、そこをとおることができるのだ。

カフカは、この世の不条理を書き出した作家とされている。しかし到達しなかったともいわれている。

喉頭結核で亡くなった。晩年はともに住み最期をみとったひとがいた。

カフカはふさわしい人として門を押しひらいただろう、しかしそれは言葉にはされない。

 

嫌われないこと…

  • 2016.05.26 Thursday
  • 21:27
5月 006.jpg

先日、たいへんひさしぶりに兄と姉に会い、気づいたことがあった。
 
私はよい子よい人をしていたのだが、思っていた以上だった。
兄や姉のはなしをきいていたら思い出した。母はひととはちがうという毅然とした姿勢を終始くずさずにいて、こどもにもそれは伝わっていた。頭がよく、家がよく、お行儀がいい。これは三つともはっきりと事実ではなく憧れの域をでないゆえにもっていたもので、劣等感の裏返し、それで胸を張って毅然とした態度である(ちゃんとしている)という自分をアイデンティティとしてもっていた。私のいじけた猫背をしょっちゅう指摘していた。現在老境にいる兄・姉に依然としてそれがあることが、わかったし、私もそういう三つ巴のなかで育ったのだ、すりこまれないでいるのはむずかしかった。私は「ちゃんとしている」というなんの根拠も無い劣等感そのものであるそんなものにすがって生きてきたが、社会に出て粉砕された。
 
同時におもいだす、私には、相手に気に入られたいという古びたものがあった。
であうひとに、なんの根拠も無いのだが、とにかく、嫌われないようにふるまうこと、いやもっと積極的に気に入られるようにふるまうのだ、といういじけた固定観念があった。
父が、温度差のはげしいひとで、機嫌よくいていただくために、気に入られる子でなければならなかった。周囲にはおとなたちが棲息していて、こどもの私が面白いことを言ったりやったりするととても機嫌がよかった。ご期待にお応えするこまっしゃくれた道化だ。
 自分はめのまえのひとにどうしても気に入られなければならない「たのしいひと」とおもわれたい、愛されたい。しかしそれは無理、すくなくとも嫌われないことに全力をつくす、もしくは不快でない存在でなければならないという反射が深く起動していた。人生の黎明期にインストールされたものは、暗闇で起動し続けている。光をあてなければ。
『嫌われる勇気』を読む。



 

運命のせいにするな

  • 2016.05.17 Tuesday
  • 08:51
2016.5.17 005 - コピー.JPG

 
先日『フィクサー』というむかしの映画をみて、これは昔見たときは筋からしてよくわからなかった。あまりわからせようとしていない映画だが、人物の存在感―その孤独や焦燥、弱さや一瞬の輝きがあって、「映画を観た」という感触でした。
強がっている人間の弱さや、どうしようもないクズ人間の哀れを、一つ一つのショットでみせていた。
話は、農薬会社がその毒性を隠して癌を多発させて訴訟をおこされ、被告側の担当弁護士が真相に(真心に)きづき…ストーリーはそのように進んでゆく。
主人公の男は、その担当弁護士の親友で、フィクサーといわれる裏取引きの掃除屋である。強くもない賭けポーカーをやめることができない。生活破綻者の弟の尻拭い(負債)をしなければならない。元妻は再婚して一人息子は新しい父親のもとでけなげに生きるしかなく…
そのなかで、主人公の男がちいさな息子に言う…
「自分のうまく行かないことを、運命のせいにするな」と。
息子はうなづいて、なにか誇らしげな表情をする。
わたし自身にいわれたようだった。
うまくいかないことを相手のせい社会のせいにしてうらみをつのらせているひとたちもいる。暴力で解決しようとする世界は、ウラミを手放すことなく煮詰めて報復する世界だ。私は運命のせい、病気のせいにしている。
 うまくいかないことは、いわば人の生に下された課題だ。それをうけとめて、すこしでも進化するようにとの。
 
「父よ、御心なら、どうかこの杯(磔での死)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思うとおりではなく、御心のままになされますように。」 ――ルカによる福音書
 
 

わがこころのよくてころさぬにはあらず

  • 2016.05.09 Monday
  • 15:48
5月.jpg

 

わがこころのよくてころさぬにはあらず

また害せじとおもふとも百人千人をころすこともあるべし ――親鸞

 

親鸞が唯円に「『往生できるから、百人千人を殺しなさい』といわれたらおまえはどうする?」と聞いた。唯円は「私は器量が無くて一人だに殺せません」とこたえたところ、親鸞は、「ひとは『往生できる』(仏道の目的)といえば千人でも殺してしまうものだ。また、傷つけないつもりであっても人は百人千人を殺してしまうものだ。こころが善いから殺さないのではない」たまたま殺さないでいるにすぎない。

 

どうして殺人者ができるのだろう?何冊か、犯罪の本を読んだが、なかでも 長谷川博一氏の『殺人者はいかに誕生したか』は、獄中の死刑囚と面会室のプラスチック板ごしに対話して、そのこころに到達しようとした著作だった。

やはり、死にたいが、自分では死ねないので死刑にしてほしいという

幼児期のネグレクト

無価値感

すべてではないが、性的サディズム

けっして鬼や魔物ではない。
本能の壊れた人間は幼少期に与えられなければならないものがあり、それをあたえられなかった。そのかわりに虐待、性的虐待をうけている。

耐えるために脳がシャットダウンまたは変奏をはじめて、やっといきのいびてきたのだろう。

理由はどうあれ、してしまった殺人は、あがなわなければならない。

矯正の困難さ、報復としての死刑。

 

わがこころのよくてころさぬにはあらず

 

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>

言葉と出会う

My Kitchen

selected entries

categories

archives

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM