なんでもない時間がきらめく

  • 2016.11.12 Saturday
  • 21:54

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横になって日をすごし、さて起きて、ごはんのしたくをはじめる。

ふいに窓の外の木々の葉がひるがえりきらめく

なんでもないこんな瞬間がきらめく たしかにきらめいたのだ  

 

なんでもない木の葉っぱは、見る価値はない語るにたらない…素晴らしく描かれた葉っぱを賞讃する。小手先の技術を称え、真実のいのちの姿をみない。

社会はそういうふうに成熟してきて、いうなれば進化のひとつだとおもう。ひとの能力が最高値にまで達する。進化とは超えることでもある。

それがまた、なにかさりげないことに超えられる時というものがあるのだと、うっすらとだがかんじた。

 

私の、寝てすごした時間、ぼんやりしていたじかん、ご飯の仕度をするじかん、ちっぽけな欲望にかられて右往左往していたじかん。

なにをして、何を思っていた瞬間であれ、すべての瞬間が、きらめいていた…

とくべつななにかをほめられるなにかをしたときだけでなく。

あの葉のように…

 

しらなかった。

世の価値をはかるスケールをにぎりしめて、自分をも測っていて。

なんでもない時間はきらめかないと、いったいいつきめたのだろう?

 

 

 

経験の地上

  • 2016.10.21 Friday
  • 22:15

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前の文でもふれたが、了解したくないことにたいしては、「了解しようものなら傷つく」とおびえているが、じっさいからだごと了解したとたん、嘘がしりぞき、光がさした。そのひかりは真実をうつしだすものであり、自分は世の中のことにたいしても、「きれいごと」をもとめていたことがわかった。じっさい、ヒトや世の中に対して怒ったり不快になったりするのは、「よい」がベースにあるところからくる。じぶんをふくめそんなよくもないし正しくも無いとおもえば、どんなことにも腹は立たない。そんなものだろう。で終わり。しかしそこからでないと、なにもはじまらないだろう。救済もそこからはじまると私は思う。

 

はじめから、「自分は考えない」というのはちがう。

この世は、さまざまなマイナス事項を課せられて、レベルアップするために生かされている。悩み、考え、ごまかし、無視してもみるが、なにひとつそんなことでは解決しないということを思い知るところに、ひらけるものであることは、それを経験したひとの知るところだろう。

 

 

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『愛する勇気』

  • 2016.10.08 Saturday
  • 23:25

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漢方を飲み始めて1年が経った。大学病院の漢方医は、よく話を聞き、たいへんきめこまかく処方をしてくれる。服薬1年にして、信じられないほど元気になった。腎不全は進んでいるので、あまり無理をしないように!と釘を刺されるが、動けるのはたのしいので、動いてしまい、つかれてしまうことは変わらないが、回復するようになった。血圧も正常値内。苦い目覚めも無くなった。

ありがたいことだ。この幸運。この歳で病だらけのからだでこうしていきているということが、なにか、ふしぎな力によってなのではないか?と思ったりする。

 

 

手を放す方向にあゆんでいたが、自分の馬鹿さ加減にあきれはて、どうして自分はよきものとしてあちらの世界にゆくのだとしんじていたのか。手を放す方向に行き詰まりをかんじたので、いまいちど岸見アドラー心理学の本『愛する勇気』をよんで出直そうとおもった。承認してもらうために自分をまげることなく嫌われたっていいじゃないかという『嫌われる勇気』から、私は自覚と勇気をもらった。『愛する勇気』は、覚悟の勇気のはなしだ。たんなる理想ではなく、人の世におとされた人間としての自覚をうながすほんだった。

やっぱり、私は本が手段だった。読むこと=知ることはベースなのかもしれない。

そして、それでも、手をはなすこと。理屈のない境地には行きたい。

 

 

自分への光線

  • 2016.09.30 Friday
  • 17:22

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その光線は、私をも照らした。

私には子供がふたりいる。その子たちに対して母として私がやってきたことに、……

完璧な親はどこにもいないし、よくあろうとすることが、結果相手を傷つけてゆがませてしまう。親はよかれとやっているのだ。またはなにをしているのかわかっていない。なんということだろう!

つくづく自我というものがいやになった。

ああしようこうしよう は、すべて自我からでているのだ。

私の自我が子どもたちに及んでいたということに気づいた。もう、自我などというものに主導権をあたえてはならない。自我というプログラムを削除したいと本気でじっかんした。せめてそのソフトウエアを休止にしたい。

 

 

 

了解

  • 2016.09.23 Friday
  • 17:03

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「ほんとうは母は私を愛してくれた。」「それを私はただ見落としているのではないだろうか?」と、性懲りも無くぼんやり過去をさぐっている自分。そんなものは無く、ますます寂しいことになってしまう。そもそもそこそこ親に愛されてそだったひとは親のことは言わないし忘れている。母のことをいつまでもいじっているのは愛されていなかった証拠でもある。

突然やってきた、「母は私という存在が許せなかった。嫌っていた」と、了解した

すると、不思議なことに、ひとつの扉がひらき、ひかりがさしこんだ。

 

私は事実にやっとのことで出会ったのだ。

無意識の中で、母に愛されているということを思いたくて嘘を自分のからだにまみれさせて生きてきたのだ。

承認されなければ生きられない。よい子を演じた。そうでなければ生きてはいけないとおもいこんで。現実があまりに陰惨で寂しく、どこかに真実がある筈、私にめぐまれていないのだとかんがえ、探すたびをしてきたのだ。よい人間になろうとした。それもおわった。

そうだったのだ。母は私が嫌いだった。生まれて欲しくなかった。あんなにあからさまに見事にむきだしていた―そういう母もすごい―のに、当の相手(私)は、めをそむけて偽善で覆っていた。わかっていたのだ。

その事実を認識し受け入れたたとたん、永き抵抗と自分へのごまかしはおわり、ひとつの扉は開き、自分を照らし出した。その真実のひかりが地上を照らした。

がっかりするとは反対のことが私に起きた。なにもかもがのみこめた。そうなのだよ!

 

「よい子」の着ぐるみは落ち、自分にたいして最後のハイパーウルトラうそがなくなった。せいせいした。

模範解答は捨て、これからは理想など持たず現実に対峙できるだろう。

そして不思議なことでもあるが、その自分をてらしたおなじ光が世をてらした。

真実のひかり。それは過酷をも写す。しかし今を救済するのではないだろうか。

よい世も無ければ、よい(だけの)人生はない。

たったひとつの意識で、クリヤーになったのは勿論、思いがけず身体がかるくなって、不思議な元気も出てきた。

こういうことがあると、私という命は猶予をもらっていると思わざるをえない。

生きている不思議をまたひとつ味わった。

 

 

 

 

 

死という体験

  • 2016.09.11 Sunday
  • 21:36

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病弱のサダメながら68年も生きてくることができた。「老い」というのも体験することができた。

こんなにも生きることができた。

これも終わるのだ。

 

こんな身体でありながら、選択のときにはレールをはずれ、好きな道に生きてきた。

こんな身体だったからかもしれない。健全なあたりまえな生活が長く送れるとはおもっていなかった。ゼツボーしていた。だからこその蛮勇だったのだろう。

えらんではずれて歩んだその道も惨憺たる風景だ…と、そのときはおもっていた。

それは、その体験にすら、よい・わるいの評価を自分でくだしていたからだ。いつもながら愚かなことだ。

いまおもえば唯一無二のひかりであり風景であった。

 

この世からいづれフェードアウトする。

そろそろ終わるのだとおもうと、しずかな圧倒的な喜びがやってくる。

内燃機関もこわれ、ぼろぼろになった機関車、よくはしったよ!

不思議なことだが、こころはみずみずしく、意識はクリヤーになってゆく。終盤にこんな不思議が待っていたものだ。

 

これもまた終わるのだ。

 

死は最期の体験だ。どのように死ぬのかはわからないが、このまま腎不全での死は、凄惨な数十日ののたうちまわりのあげくであろうが、それもまた、終わる、それに身をまかせることは苦悶の裏というものもあるのではないか?

とはいえ、脳卒中や心不全などで、頓死または意識不明になったならば、それは私にとってはラッキー、ひょっとして恩寵かもしれない。場合によっては蘇生術や手術などはさせないでほしいと、リビングウイルを夫と話し合って書き足した。

しかし、どう死ぬのかは、まったくわからない。

 

 

なんとなく避けていたOSHOを読んでみようというきになった。

スピのひとの中には、「じぶんはこういう段階=つきぬけたところに在る=さとり」というアイデンティティをしっかりもってそれをきずつけないように慎重に行動発言している「覚者」がいる。そのようなかすかなニオイがちょっときになっていた。

OSHOは、写真でみるかぎりなにやら現世的な雰囲気で、アプローチをしたことはなかった。こだわりというものが、すべってゆきなくなってしまったので、おもしろそうだ、というわけで、とりあえずOSHO『死について』を手に取った。

 

 

 

 

不自然な作為

  • 2016.08.21 Sunday
  • 23:16

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山本周五郎の短編に、母が死に、父は病気、弟は盲目で、一手に生活をささえていた娘が、濡れ衣で牢屋に入れられるのだが、やっと休めるといって喜んでいる場面があった。

よく父がはなしてくれた母の人生、それは本当にひどかった。病弱に加えて災難に遭い、負わされた生活も悲惨なものだった。その死も医療事故であった。

葬式では、その無残さに泣くひと多数。大合唱。

あれには青春がなかったんです、と父は泣いていた。

その内容はちいさな私もきかされた。それはあまりにひどく、

母がじぶんの人生を恨みに思ったとしても、仕方が無いと、私はおもう。それしか方法がないよ。恨みに思うことでパワーもでて、なんとか生きてゆけたのだろう。

 

私もおなじ病をもってうまれて、そのうえ、小さいときはよく熱をだし、気管支喘息の発作、腎不全と、運命のように病気である。ゆえに、健康というのはどういうものかわからなかった。喘息が治ったときに、健康な人生ってこういうものなんだ!と。肉体への負荷と燃焼こそ人生なんだとおもった。その僥倖もすぐにおわり、なんで自分はそうでないのかと単純に疑問に思うし、これでもかとたたかれるたびに自分に与えられた条件である病弱を告発したくなる。望むは終了=死である日々もあった。健康であるだけで、幸せだ!とほんとうに思う。

 

ひとは、うらむことで、なんらかのカバーができて、なんらかの黒っぽいがパワーがでてくるのではないか。

恨むといえば、おとうさんが退職するのを待って離婚したというおかあさんがTVにいたが、それはいづれそうするぞという粘るパワーで生きてきたのだろう。恨むことは、現実に対処しないことのいいわけ、弱者の方法なのか?

 

なんでこんな病気ばかりと時におもう。しかし、健康だろうが、病気だろうが、人生のたいへんさにはかわりない。病気でできることはかならずある。

私はうらみにおもうことはしない。

うらみにおもうことこそ、マインドの好きな不自然な作為だと、きづいた。

 

 

 

 

苦の錬金術

  • 2016.07.31 Sunday
  • 22:51

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姉は親になったとき、父に美醜で・母に頭のよしあしで判断されたことをもって、それをわが子には一切やめ、ありのままに育てようと決心したという。実家ではタブーだったスカトロジーに、姉と子どもたちはモエてゲラゲラ笑って楽しそうだった。

その子供は人生後半に入ったが、いまも幸せそうに生きている。自分のなにもかも肯定できるのだから。

ただし、社会はそうはいかないので、そこの回避はさまざまであって。

男の子は、周囲と交流しないことで勤めあげ、金が溜まった時点で実家にひきこもっているが、ナカナカたのしそうである。女の子は天真爛漫な伴侶と明るい無邪気な家庭をつくりあげた。問題は起こるが、彼女は肯定、時には頑固一徹で、「いいんだ」とまげることはしない。

私は、そのような育てられ方をされた甥と姪の行く末を多大な興味をもってながめてきた。姉をはじめ一家みんなが超健康であり、なかなかしあわせそうだという結論である。

で、いいじゃないか!

彼らに話をする機会があると、「なんもきにしないよー」とおわってしまう。

カミサマの前に出たときも、「なにもきにしないで明るく楽しく生きました!」と素直に言うんだろうな。

 

この世が苦しみだという人は私をふくめいる。そういうひとにとっては、それを行き抜くしかなく、どうせなら迎え撃って、曰くいいがたいところへ抜け出る場だと私は実感している。とすれば、苦しみは恩寵といえないか。

 

許すことがないままに

  • 2016.07.21 Thursday
  • 23:16

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病の進行を感じざるをえない日々、なんとなく記憶の中の同病の母をおもいだす。

おおかたは黙っていたが口をひらくと、知的なことを「教えて」いた母。

 

ジェームズ・ヴァン・プラグ 『人生をもっと幸せに生きるために―死者からのアドバイス』

著者には霊感があって、死者が見えメッセージを受け取ることができるらしい。死者は自分のせいで苦しむ関係者にメッセージを伝えたいらしい。というわけで、この本には、死者と生者間の許しということが書かれてあり、私も母を最終的に許せたらいいとおもった。記憶のなかに母が私に向けたなにかよいものをさがそうとしてみたが、すればするほど何もなく、かえって末子を完璧に拒絶して死んでいった母が浮上してくる。

その片鱗も無いというのも見事ながら、死に際に、すがるような希望を託した中学生(私)に、朦朧としつつも、残余の生ではっきり拒絶した。完璧だった。

 

前掲書では、あいてに傷つけられた人が、霊となってから許しを与えるありさまも書かれてあった。

若いころ明晰夢の中に、母を捜していた私は『ブレードランナー』のような雨の降る都会の暗く湿った片隅に座り、うつむいている母をみつけた。こんなところにいたの!と私は皮膚の穴がすべて開くような思いで接近をしたが、母は自身の苦の中からでようとはせず私を無視した。これは夢だけれど。プラグ氏の話しのように、母は霊として許しを請いに来ないだろう。すまなかったね…許してください…などと、霊になっても言う母ではない。

私への拒絶は、せめて自分の理想にあわなかった夫への、そして惨憺たる人生へのゆいいつのレジスタンスだったのだろう。レジスタンスは生きる力だ。私も母の役に立ったか。しかしそれはたかだか「思い込み」の範囲のはなしである。

母の57年の存在はマインドに満たされていた。

私はこんなに長く生きた。母親にめぐまれなかったが伴侶にめぐまれたから。

私は手をはなす。たぶん私は許されることも許すことはないだろうが、どうでもよくなった。

許す許さないは結果であり、エゴのニオイもする。

生きているということは、きれいごとにすりよらず、現実をそのままうけとめることではないか?

 

 

 

 

言葉という綱を緩めて…

  • 2016.07.09 Saturday
  • 23:33

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体調がおもわしくなく、長くお休みしました。

漢方で、だいぶ動けるようになりました。

腎不全は進んでいますので、このささやかな元気は奇跡のようにおもえる状況です。

 

―書かなくても生きてゆける― ように なったとおもいます。

言葉という方法で生きてきたけれど、それの無い別の次元がひろがっていた…

 

つまり、この言葉での表現もそろそろ終了しなければなりません。

ながいこと読んで下さって心から感謝しております。

 

そして、説明はできないけれど、私にできる表現をできるかぎりしてお別れしたいとおもっています。

 

 

 

 

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言葉と出会う

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